【第一回】最期のバレンタインデー
「私、あんな姿にされるくらいなら……その前に勇魚(いさな)に殺されたい」
 いつになく真剣な表情をしたかと思ったら、なんてことを言うんだ。あたしの頭は急激に沸騰し、たまらず礼美の白い頬を打ってしまった。あたしの茶色く波打つ地毛とは正反対に綺麗な、彼女の長い黒髪が同時に舞い上がった。
「バカっ!」
 振り抜いた腕をよろよろと落としたとき、あたしは怒りとそれ以上の罪悪感とが混じった涙を流していた。礼美もまた、目を伏せて泣いていた。



 そんなことがあったのが丁度二月の一日。何だかもはや遠い昔みたいに思える。
 この二週間で、日本の人口は三分の二になった。三分の一の人たちの多くは命を落としたわけじゃない。でも人間としては死んだも同然だ。
 彼らはハイグレ人間になったのだ。突如東京に降り立った宇宙人、ハイグレ魔王とその手下たちによって。
 ハイグレ魔王は地球人の意志を全く無視して、人間を自分たちに都合のいい奴隷に作り変えていった。ハイグレ光線銃に当たった人間はハイグレ魔王に忠誠を誓うよう洗脳された上で、ハイレグ水着姿でハイグレポーズという服従の動きをさせられる。対処法も治療法も無いため撃たれたら最期、元の人格は失われてしまうのだ。寒空の下、ただひたすらにハイグレをするだけの存在に成り果てる。
 敵の尖兵、パンスト兵は一週間強で関東を制圧、それから北と西に向かって勢力を伸ばしつつある。そしてあたしたちの住む中部地方にも、侵略の手が伸びようとしていた。関東からの亡命者たちの車が国道をびっしりと埋め尽くしているのが、襲撃の時が近いことを如実に表していた。
 奇しくも明日はバレンタインデーだった。恐らくはあたしたち人間が迎える、最期のバレンタイン。
 キッチンに立つあたしの周りには、市販の板チョコと沢山の調理用具がある。しかしもう一つ……白い粉の入った小瓶も用意してある。これは砂糖でもなければ、ましてや頭のおかしくなる薬でもない。
 ――もっと確実に人を死に至らしめる、毒薬だ。



『日本人はどんな悲劇に直面しても秩序正しい』なんて言葉は、本当の悲劇に直面してみて嘘っぱちだと分かった。突然の東京壊滅の報せにいともたやすく日常は崩壊し、人々の間に終末思想が蔓延したのだ。どうせ死ぬ(ようなものな)のだから何をしたっていいじゃないか、と。社会性というリミッターが外れた者達による窃盗や放火、更には殺傷事件が相次いだ。何とか正気を保っていた人も、侵略者と人間との両方に怯える羽目になった。既存の宗教に溺れる人も多いらしい。
 それどころか恐ろしいことに、ハイグレ魔王を救いのヒーローと崇める新興宗教すらも興ったと耳にした。何でもハイグレ光線にはどんな不治の病でもたちどころに治してしまう効果があるという。すると元気になった病人とその家族は、喜んでハイグレ魔王を信仰する。噂を聞きつけた病人も自ら身を差し出すようになる……という寸法らしい。全く、色んな意味で馬鹿げている。
 日本人は選択を余儀なくされた。自らハイグレ人間にされにいくか、普段の生活を続けつつ全てを受け入れるか、日本の果てまで力の限り逃げるか。
 そのどれも選べなかった者は、次のいずれかをすることになる。ストレス発散のための破壊衝動、宗教などによる精神的逃避、そしてもう一つ――自殺による尊厳死。
 礼美と喧嘩をした日の夜。あたしの脳裏にはずっと、礼美の言葉が呪いのように焼き付いていた。そのせいで「死」についての思考がぐるぐる止まらなくて、遂にはパソコンで『死に方』なんてワードを検索してしまった。
 すると恐ろしいもので、トップページに『自殺の方法』『苦しまない首吊りのコツ』『毒薬運輸』などなど物騒なサイト名がずらずらと羅列されたのだった。皆、考えることは一緒なんだなと分かると少し愉快だった。
 あたしは『毒薬運輸』をクリックした。黒地に白文字というアンダーな雰囲気のサイトに、英数字混じりの薬品名がリストアップされていた。一つ一つクリックして商品説明を読んでいく中、これはと思ったものがあった。
「”安楽への道標”……?」
 薬品名、VX-2910。通称”安楽への道標”。商品説明……経口摂取から五分で昏睡、一時間後に心停止します。お食事に混ぜていただけます。おすすめの商品です。即日配達可。
 簡素な短文。なんと怪しげな。だけどもその効力の強さは語るまでもない、という出品者の自信の現れのようにも感じられた。
 結局あたしは”道標”を購入した。毒薬を買うことが違法かどうかなんてどうでもいい。どうせ世界は終わるのだ。本当に使うかはともかく、そういう決断もできるようにしておきたかった。
 ……いざとなったら、礼美を殺してあたしも死んでやる。
 あのときは咄嗟に手が出てしまったけれど、後で考えれば考えるほど、あるいは侵略の実態を報道で知れば知るほど、礼美の言葉は間違っているとは思えなくなっていった。だってもしもハイグレ人間にされてしまったら、一生あんな姿であんなことして過ごさなければならなくなる。そんなの生きてるなんて言えない。自分の行く道を自分で選んでこそ、本当の人生じゃない。
 ……あたしもハイグレ人間になんてなりたくない。だったら人間のまま、礼美を好きなまま、一緒に死にたいよ。
 二月二日。明日から高校は臨時休校ということになった。礼美に「昨日はごめん」と言い出せず、ただただ気まずいだけの最期の学校となった。二階建てアパートへ帰宅すると、ポストにあたし宛の紙袋が投げ込まれていた。階段を駆け上がり、その中に梱包されていた小瓶を握りしめ、あたしは枕に顔を埋めて泣いた。


 一日、また一日と。テレビやネットで伝えられるハイグレ魔王軍の侵略版図は広がっていった。東京に居を構えるテレビ局は次々に乗っ取られ、ハイグレ魔王のプロパガンダばかり放送するようになってしまった。ハイグレ人間たちはそれで良いのかもしれないけど、あたしたち人間はチャンネルを無事なローカル局のに合わせるほか無かった。
 テレビ以上の情報網であるインターネット――特にSNS上は過去に例のない大混乱となっていた。関東在住の者の投稿内容が怯えや恐怖やSOSを求めるものから、ある時を境にハイグレコールやハイグレ魔王を崇める文章、あるいはフォロワーにハイグレ人間になることを勧める投稿ばかりに変わっていく。大勢のSNS友達を持っていた者ほど、自分のタイムラインがハイグレで埋まっていくことに戦慄したはずだ。
 こんな世の中で何をしたらいいんだろう。あたしは部屋の中でただ無為に時間を過ごしていた。
 あの日まで、あたしの肩書は受験生だった。高校三年生。大学を目指して受験勉強に勤しむ現役生。センター試験を何とか乗り越えて、間もなく大学個別の一般入試を控えていた。
 そう、全部は過去形だ。どこの大学も「来年度入学生選抜試験は、時勢を鑑みて無期限延期とします」とのお触れを出していた。行われるかも分からない受験のために机に向かえるほど、あたしは受験生じゃなかった。
 そのことについて、唯一の同居人であるママはあたしを責めたりしなかった。
「勇魚の生き方は勇魚が決めなさい。勇魚が元気でいてくれるだけで、ママは頑張って生きようって思えるから」
 ママはこんなときでも――こんなときだからこそ――普段通りに朝から夜までスーパーのパートをし、家では普段通りに優しい母親であった。女手一つであたしを育ててくれたことは感謝してるよ、ママ。だからあたしも、せめて夕飯だけはいつもどおりに振る舞ってあげていた。
 ……もしあたしが死んじゃったら、やっぱりママは悲しむよね?
 あたしはママの腕に抱かれながら礼美と”道標”のことを交互に考えて、罪悪感で胸を満たしていた。


 それが、ママと触れ合った最期になった。
 二月八日は、ママの帰りがやけに遅かった。八時、九時、十時……これはおかしいと思い始めた矢先、電話のベルが鳴り響いた。
「警察です。今井実和子さんのお宅でしょうか」
「は、はい。あたしは実和子の娘です、けど」
「……先程、実和子さんが夜道で刃物で刺され、病院に緊急搬送されました。犯人は確保しましたが、実和子さんは危篤状態で――」
 頭が真っ白になるというのは、こういうときのことを言うのだと知った。急いで病院に駆けつけたあたしが医者から告げられたのは、残酷な宣告だけだった。
 要するに、ママは連続通り魔事件の被害者となったわけだ。三人死亡、四人重軽傷。犯人の男はやはり精神錯乱を起こしていたらしい。しかし警察の人によると、取り調べで「東京に残した嫁と娘と息子が奴らにやられた」という情報だけは聞き出せたという。
 ……だからって、なんでママを殺すの? ママも他の人も悪くないでしょ?
 もちろん犯人に対して怒りはある。でもそれ以上に、色んなことが言葉に出来ないくらい虚しくて虚しくて仕方なかった。
 本当に恨むべきは、平和な世界を無茶苦茶にしたハイグレ魔王たちだってことは分かってる。奴らがいなければ男は刃物を手にすることはなかったし、ママたちも死なずに済んだ。なのに、ハイグレ魔王という存在は憎しみを向けるにはあまりにも遠く、大きすぎる。例えばクジラに海水ごと飲み込まれた小魚はクジラを憎しむだろうか。多分、その場に居合わせた自分の運命をのみ呪いながら溶けていくことだろう。
 ハイグレ魔王に対しては、初日のうちに自衛隊が攻撃をしている。結果は全滅。隊員たちはたやすく撃墜、あるいは洗脳された。人間は異星人に敵わない。絶対に勝てない相手へは怒る気力すら湧かないものだ。そしてまた、犯人に復讐したってママは帰って来はしない。こんな状況で、虚しくならないはずがないでしょう。
 ママの葬儀が執り行われたのが二月十二日。色々な手続きは、会ったこともない母の遠い親戚が済ませてくれたようだった。出棺の寸前、あたしは久しぶりにママと対面した。土気色の肌、けれども安らかな寝顔だった。
 その葬儀に、礼美も参列してくれていた。来るとは思っていなかった制服姿に、あたしは驚いた。
「勇魚のお母さんには、いつも良くしてもらってたから……」
 ママが空に還った後で、あたしは一週間以上ぶりに礼美と話をした。
「ありがと、ママも喜んでると思う。……あのさ、礼美」
 ずっと胸に支えていた謝罪の言葉が、喉へ口へとのろのろ這い上がってくる。しかしようやく吐き出されたときには、言葉はすっかり形を変えていた。
「明後日、うちに来てくれる? 渡したいものがあるんだ」
 礼美は少し戸惑ってから、「分かった」と頷いた。



 ……さて。
 湯煎された板チョコはドロドロに溶け、ボウルの中で茶色く粘っている。そしてあたしの右手には”道標”。
 これまであたしはたくさん考えた。たくさんたくさん考えた。一人で考えた。人間ってなんだろうって考えた。人生ってなんだろうって考えた。人間としての死と、生命としての死とを比べて考えた。
 最初に浮かんだのは、ママを殺した通り魔の動機。犯人の家族はハイグレ人間にされ、その事実に耐え切れなくなって衝動的に殺人を犯した。許す気は当然さらさらないけど、辛かったんだろうなとは思う。大好きな人が狂ったようにハイグレを繰り返し、自分にもそうなるよう迫ってきたとしたら……。
 次に、ママの言葉が蘇る。あたしも、ママがいたから頑張れたんだよ。パパはあたしが生まれるよりも前にママを捨てて逃げたって聞かされた。だからあたしにとっての親はママしかいなかったけど、それで十分だった。ママに優しく抱かれたとき、毒薬なんて捨てようって方に考えが傾いた。ママなら、例えあたしがハイグレ人間になっても受け入れてくれると思えたから。でもそのママはもう……この世にはいない。ならあたしの人生、あたしが決めてもいいよね?
 そして礼美は――高校入学までずっと友達のできなかったあたしに手を差し伸べてくれた、ただ一人の親友にしてあたしの恋人は――ああ言った。ハイレグ姿になるよりあたしに殺されたい、と。
 ……あたしにはもう、礼美しかいないの。そんな礼美がもしもハイグレ人間にされたら、あたしも正気じゃいられなくなると思う。もちろん、あたしだってハイグレ人間になるのは嫌だよ。
 だから。
 ……ハイグレ人間にされる前にさ、礼美。あたしたち一緒に、人間として死のうよ。
 さらさらと流れ落ちた白い粉を覆い隠すように、チョコをヘラで何度もかき混ぜた。
 礼美は、あたしの手作りのものを食べるとき、いつも「美味しい」って笑ってくれた。きっとこのチョコも笑って食べてくれるはずだよね。
 料理の仕方も、お菓子の作り方も、みんなママに習った。あたしが「最高の終わらせ方」を選べるのは、ママのお陰だよ。


 ピンポン、と玄関のベルが鳴る。慌てて扉を開けると、やはり待望の人だった。
「待ってたよ、礼美」
「勇魚……うん、遅くなってごめんね」
 今日はバレンタインデー。女の子が好意を寄せる人にチョコレートを送り、その思いや日頃の感謝を伝える日。
 昨日の夜頃から中部地方――あたしたちの県にもパンスト兵が飛来し始めていて、今までのパターンと進行速度からすると今日の昼にも本隊が襲ってくるのではと言われている。だからご近所さんや友達なども続々と家を捨て、西へと逃げていっている。
 なのに礼美は約束を守ってくれた。あたしと会うことを優先してくれたんだ。嬉しいな。本当に嬉しいな。
「えへへ……!」
「どうしたの勇魚。ニヤニヤしちゃって」
「ううん、なんでもないっ」
 ああ、礼美が困った顔をしている。でも口は笑ってるってこと、お見通しなんだからね。
 あたしは礼美を居間に招き入れた。彼女の目がちょっと見開いたみたいだった。
「ご、ごめんね。ちょっと散らかっちゃってるけど、適当に座ってて」
「うん……」
 洋服や宅配の袋などの物のないところを探して、礼美は腰を下ろす。あたしは軽い足取りで台所へ向かうと、ラッピングした箱を戸棚から取り出した。
 ……もうすぐだ。もうすぐ礼美の願いを叶えてあげられる。あたしの思いを遂げられる……!
 勝手に持ち上がる頬をそのままに居間に戻り、箱を差し出す。礼美と視線が合った。
「礼美、はいこれ。バレンタインのプレゼントだよ」
「私に?」
「そ。あたしが作ったの」
 ちょっと得意気に胸を反らす。それからあたしは礼美と肩を並べて座った。
「ありがとう……開けてもいい?」
「うん。あ、二個入ってるんだけどさ、あたしと一個ずつ分けよ?」
「勇魚、去年も一昨年も同じこと言ってたよね」
「あはは、そうかも」
 礼美はくすりと笑い、ビー玉のように丸いチョコをつまみ上げると、
「……私たち、付き合って二年になるんだね」
 急に感慨深げにそう呟いた。ああ、そう言えばそうだったね。一昨年のバレンタインに、あたしから礼美に告白したんだった。
 あたしの恋愛対象が女の子なのは――と言うより、恋愛対象が男じゃないのは――自覚はないけど多分、クズな父親の話を聞いて育ったせいだ。そんなあたしを優しく受け入れてくれる礼美には、高校入学当初から想いを寄せていた。それが募りに募って高校一年のときのバレンタインに、嫌われることを覚悟で告白した。でも、返事はOKだった。奇しくも礼美もレズビアンだったのだ。後で聞いたら「勇魚って何だか放っておけなくて、頼ってくれるのが嬉しくて。気付いたときには好きになってたの」とか言われたっけ。
 あたしの人生が幸せだったのは、ママと礼美がいてくれたからだ。
「うん。これからもずっと一緒だよ、礼美」
 あたしは微笑み、もう一つのチョコを手にした。
 ……死ぬことなんて怖くない。それよりハイグレ人間となって生かされ続ける方がもっと怖い。礼美もそうだよね?
 でも、わざわざ礼美に毒のことを教える必要はない。どうせ眠るように死ねるんだから。どうせ礼美だって死にたいんだから。あたしと同じ気持ちなんだから。
「礼美、それじゃあ一緒に食べよっか」
 ――その瞬間。窓の向こうでピンクの閃光が迸り、甲高い悲鳴が上がった。直後、曇り空を覆うほどの空飛ぶ人影たちから地上に向けて、光が雨のように降り注いだ。
「きゃあああああ!」
「畜生っ! ぐわああああ!」
「何で私まで――嫌あああああああ!」
 途端にあたしたちの町は地獄と化した。逃げ惑い、泣き叫ぶ声は少しずつ、
「「「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」」」
 ハイグレコールに変わっていく。遂に恐れていた、パンスト兵の襲撃が来てしまった。
 パンスト兵は屋外にいる人を適当に射撃したあと、高度を下げて建物内を伺いだした。そして人間の気配があれば窓ガラスを割って侵入し、無慈悲に引き金を引く。洗脳されてしまえば、パンスト兵の行為を住居不法侵入だなんて思わない。自分をハイグレ人間にするためにしてくれたのだから、とハイグレポーズを繰り返すのみ。
 ……うちがパンスト兵に見つかるのも、時間の問題だ。そうなってからじゃ遅い。
「礼美、チョコ食べて!」
「い、勇魚――きゃっ!?」
 急がなきゃ、という一心であたしは礼美を押し倒した。礼美は驚きの表情で、馬乗りになったあたしを見上げている。あたしは自分の手にしていたチョコを、彼女のぷっくりとした唇に押し付ける。けれど礼美は歯を食いしばり、チョコの侵入を拒んだ。どうして? どうしてあたしの言うことが聞けないの?
「食べてよ! じゃないとあいつらが来ちゃう!」
「ひゃ、ひゃめ……っ!」
 あたしは焦る。もう一刻の猶予もない。こうなったら全部話すしかない。
「ねぇ、礼美言ったよね? ハイグレになるよりあたしに殺されたい、って」
「――っ!?」
「だからさ、そうしてあげるよ。このチョコには薬が入ってるんだ。食べたら苦しまないで死ねる薬。ほら、人間のまま死ねるんだよ? あたしも一緒に死ぬからさ、礼美一人じゃないからさぁ!」
 あたしは自分の言葉を証明するために、礼美の唾液と歯型がついたチョコを躊躇うことなく自らの口に放り込み、噛み砕く。口いっぱいにカカオの甘い香りと軽い塩気、それから何より礼美の味を感じた。
 ……うん、うまく作れてた。最期にまずいものなんて、礼美も食べたくないよね。でもこれなら満足してもらえるはず。
 溶けたチョコをごくりと嚥下しつつ心の中で自賛していると、
「勇魚っ!」
 礼美は血相を変え、勢い良く身体を起こしてきた。文字通りひっくり返ったあたしの身体が礼美に強く揺さぶられる。
「早く吐きなさい! 勇魚のバカ! あなたの方がもっとバカじゃないのっ! あのとき私を叱ってくれたのは勇魚じゃないっ!」
 ……何で、何で礼美はこんなに怒ってるの? 涙まで流してあたしに掴みかかって……。どうして? 礼美は死にたいんじゃなかったの?
「私だって謝りたかったよ! 変なこと言ってごめん、叱ってくれてありがとうって! でも、言い出せなかった……そのせいで悩ませてしまったなら、本当にごめんなさい!」
 最後の方は涙声になってちゃんとは聞き取れなかった。でも、何と言おうとしてたかは分かる。
 ……じゃあ、あたし……何のために。
「あのときの勇魚も、こんな気持ちだったんだね。今なら分かる……本当に、ごめんね……」
 激昂していた頭から、すうっと血の気が引いていく。全部があたしの思い込みで、勘違いで、すれ違っていただけだったなら。あたしは礼美の言う通り、一人で悲劇のヒロイン気取ってただけのただのバカじゃない。
 悲劇に酔って、毒薬まで飲んじゃってさ。
「あぁ……あああぁぁああああああぁぁぁぁ!」
 腹の内容物を何もかも絞り出さんばかりに、あたしは絶叫した。空気を吐き切っても、飲み込んでしまった”道標”はどうにもならなかった。
「あぅ、おえっ! けほ、けほっ、うう……おぇぇ……ぅ! げほっ」
 毒が自分の中にあると思うだけで吐き気を催すのに、どれだけ嘔吐いても咳ばかり。死の予感が、チョコの香りとともに這い上がってきた。
 ……何でこんなことに。何で……。
 後悔が涙となって頬を伝う。それを礼美は、自分も泣きながら指で拭ってくれた。何故か彼女は先ほどまでの様子とは打って変わって、覚悟を決めたかのように穏やかな表情をしていた。
「……私のためにありがとう、勇魚。勇魚の気持ち、分かったとき、嬉しかった。だから……勇魚を一人にはしないよ」
 言って、礼美は表面が指の熱で溶けてしまったチョコを一口で頬張った。あたしの背筋に悪寒が走る。だってそれは、”安楽への道標”。
「な、何で食べちゃうの!? 礼美、ダメぇっ!」
 ボリ、ボリ、と鈍い咀嚼音が聞こえる。何でよ、そんなことしたら礼美まで死んじゃう。礼美は生きようって思い直してくれたんでしょ? なのに、どうして……。
「これで、勇魚といつまでも一緒にいられるね」
「どうして……。あたしなんかのために死ぬなんて、ダメだよ……!」
 理屈ではどれだけ考えても、礼美の考えは分からなかった。だけどそのとき不意に、ママの言葉が再び脳裏に響いた。それがヒントとなった。
 ……あたしは、あたしのために死まで選んでくれる、そんな礼美だからこそ好きになったんだ。そして礼美も、礼美のためなら死ねるくらいに愛しているあたしだからこそ、好きになってくれたんだ。
 突拍子もない行動をしたのは礼美だけじゃない。振り返ってみればあたしだって大概だった。あたしも礼美もお互いを愛していたから、相手と一緒に死ぬことを選べたんだ。
 そう思い至った瞬間、自分がどれだけ取り返しの付かないことをしてしまったのかを自覚した。全身が、にじり寄ってくる死へのおぞましさにブルブルと震えた。
 ……好きな人には生きていてほしい。例えどんな姿であったって、元気で生きていてさえくれればいい。なのに。
 ママとはもう二度と会えないけど、あたしと礼美にはちゃんと命があった。生きてさえいればどんな姿であったって、一緒に同じ時間を同じ空間で過ごせたのに。死んだら、何もかも終わりなのに。生きてこそ、なのに。
 ……あたしの未来も、礼美の未来も全部、あたしが壊しちゃった。
「あたし、ほんとは、礼美と一緒に……生きてたかった、んだよ……」
 それは礼美の頬を打ったときにあたしを突き動かした、純粋な感情。世間の目だとかハイグレだとかどんなことを差し置いても、礼美と生きたいと。だから生きることを諦めようとした礼美を咄嗟に叩いた。
 そのあたしが、どうして礼美を殺そうとしたの。どうして心中なんてしようとしたのよ。……ああ、もしかしたらあたしも知らず知らずのうちに、ハイグレ魔王の恐怖に精神を冒されていたのかもしれない。
 ……あたしやっぱり、生きていたい。礼美と生きられるならどうなってもいいから……死にたくないよ……!
 そんな生への執念が、ある一つの噂をふっと脳の奥から思い出させた。眉唾かもしれない。でも、今はそれに賭けるしかない。
「どうしたの、勇魚?」
 あたしはゆっくり立ち上がった。今更気づいたけれど身体が鉛のように重い。毒が回っているんだ。それでも何とかベランダを目指さなければ。
「ハ、ハイグレ光線……浴びれば……どんな病気も、治るって……」
 一週間以上前、テレビで聞いた噂だ。ハイグレ魔王に救いを求める新興宗教の話題の中で聞いた、ハイグレ人間になると不治の病が治せるという話。人間の服を変え、身体を操り、洗脳するハイグレ光線にその上もしも、命をつなぐ効果があるとするならば。そもそもハイグレ光線の存在が、地球人の常識を超えているのだ。可能性はあるんじゃないかと思えた。
 むしろそれに縋る他、余命幾ばくもないあたしには方法が無かったわけだけど。
「……ハイグレ、に、なれば……」
 あれだけ嫌がっていたハイグレ人間になることを自分から求めるなんて、皮肉にも程があるよね。何だか笑えてくるよ。笑う元気もないけどさ。
 一歩、窓の方へ。外に出て、パンスト兵を呼ばなくちゃ。何とかしてあたしたちに気付いてもらわなくちゃ。ベランダの方へ、もう一歩。
 しかし、ぐらりと視界が揺れた。違う、平衡感覚も力も失って、足を踏み出すことも出来なかったんだ。倒れていくあたしの身体を――優しく礼美が受け止めてくれた。
「勇魚!」
 礼美の腕に抱かれたまま「ありがとう」と唇を動かしたつもりだけど、声は出なかった。苦痛はない。でも眠気が酷い。気を抜いたら今にもまぶたが落ちそうだった。
「――ばいいんだね? 待っ――すぐ――」
 あれ、礼美の声が聞こえにくいな。っていうか礼美はどこ? 腕の温もりも感じない。暑いのか寒いのかも分からないよ。近くにいるの? どっか行っちゃったの? 何も見えない。
 あ、そっか。死ぬって、こういうことなんだね。あたしまで死んじゃってごめんね、ママ。あたしのわがままにつきあわせてごめんね、礼美。天国に行ったら、二人にちゃんと謝るからね。
 ……うぅ……。
 ……怖いよ、寂しいよ……! お願い……あたしを一人にしないで、礼美……。







 まぶたを開いても、そこは天国じゃなかった。見慣れた自分の家の天井模様が飛び込んでくる。
「――勇魚! 大丈夫!?」
 それと枕元から聞き慣れた、大好きな人の声。目だけを動かして確認すると、やっぱり礼美がいた。布団に寝かされたあたしの顔を、前傾の正座体勢で覗き込んでいたけれど、
「うん……平、気」
 と返事をすると息を吐き、頬を綻ばせた。あたしもつられて、ふふ、と笑う。
 でも、あたしの視線はすぐに礼美の姿へと移っていった。まさか、と思った。
「礼美、その格好は……」
 聞くや礼美は頷き、立ち上がった。そして四股を踏むかのように股を広げ、艶やかな紫色のハイレグ水着の鋭い足ぐり線へと両手を添わせる。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 彼女が三度行ったのは、紛れもなくハイグレポーズ。着ているのはもちろんハイグレ人間の証。礼美の笑顔とハイレグを照らす夕日のオレンジによって、あたしが何時間も眠っていたことに気付かされた。その間に、礼美はパンスト兵様にハイグレ人間にしていただけたんだね。とっても綺麗なハイグレポーズだと思う。
 って、そうじゃない。あれから何時間も経っているということは、”道標”を口にしてしまったあたしも礼美もとっくに死んでなきゃおかしい。そもそもどうしてあたしは目を覚ますことができたのよ。昏睡状態に陥っていく恐怖はしっかりと覚えているのに。
 もしかして”道標”の毒では死ねなかった? それとも……。
 あたしは慌てて上体を起こし、掛け布団を除ける。するとあたしの身体を覆っているものが、意識を失ったときの部屋着とは一変していたのだった。
「これって……!」
 股間から腰骨上までの破廉恥な切れ込み。へその窪みや肋骨が浮き出るほど張り付く薄い生地。背中の動きに追従する肩紐。それは礼美が着ているハイレグとお揃いの水着。唯一違うのは、あたしのハイレグは黄緑色をしているということだけ。
 突然の変化に驚きを隠せなくて、ぺたぺたと自分の身体を触りまくるあたし。ハイレグ越しに肌に伝わる感触は、何故か直接触れるよりも敏感に感じられた。
 そんなあたしに、礼美がこう教えてくれた。
「勇魚にも、パンスト兵様がハイグレ光線を浴びせてくださったのよ。実を言うと、私よりも先にね」
「……!」
「ハイグレ魔王様のお力を疑うわけじゃないけど、勇魚が目覚めるまでは安心できなくて……。でも、本当によかった……!」
 言って抱きついてきた礼美を、あたしは感謝の気持ちを込めて強く抱き締めた。
「ありがと、礼美……」
 二枚のハイレグが細かく擦れて熱を帯びる。まるであたしたちの感情の高まりを表すかのように。
 どうやらハイグレ光線がどんな病も治してしまう、というのは本当だったらしい。あたしたちを致死の毒から救ってくださったのだから信じる他ないじゃない。あたしたちが今も生きていられるのはパンスト兵様のお陰――ひいてはハイグレ魔王様のお陰だ。魔王様が地球にいらしてくれたからこそ、こうしてハイグレ人間になれたんだ。ハイグレ魔王様は、救いのヒーローだ。
「ありがとうございます、魔王様……!」
「本当に、魔王様には感謝してもし足りないね」
 思わず零れてしまった心の声に、礼美が深く同意するように目を細める。この二週間すれ違ってばかりだった彼女と今、身体を合わせていられることが幸せで仕方ない。久々に味わう安息の時間。
 ママがいなくなってしまったのは寂しいけれど……礼美が側にいてくれれば乗り越えられると思う。だから心配しないで、ママ。あたしはこれからも、頑張って生きるから。
 心の中に、そして身体の内側に、とても熱いものを感じて疼く。感謝、元気、希望……この気持ちを、どうにかして表現したい。
「……勇魚、ハイグレしたいの?」
「え?」
「何となくそんな気がしたんだけど、違った?」
 礼美が小首を傾げる。ああ、そっか、そうだよね。ハイグレすればいいんだ。
 だってあたしは、ハイグレ人間なんだから。
「ううん、違わない!」
 あたしは笑い、腕を解いた。そして礼美と向い合うようにして、しっかりと床に足を付ける。毒に冒されていたときが嘘のように身体が軽かった。
 礼美が言う。
「勇魚にとっては初めてのハイグレだね」
「うん。すごく楽しみっ」
 あたしはまだハイグレがどれだけ素晴らしいことなのかを経験していない。だけど本能が既に知っていた。ハイグレをして魔王様を崇めることがあたしたちの使命で、存在価値であると。
 紫色のハイグレの礼美と、黄緑色のハイグレのあたし。人間としての生を終え、新たにハイグレ人間として生まれ変わった――その証として、高らかに宣言する。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 何度も、何十度も、何百度も。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 日が沈んでも、夜が更けても、明日になっても。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 日本が魔王様のものになっても、地球が魔王様のものになっても、宇宙が魔王様のものになっても。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 あたしと礼美は一緒にハイグレし続ける。精一杯、命ある限り、ハイグレし続ける。
 今日はその、始まりの日だ。
 人間としては最期の――ハイグレ人間としては最初の、バレンタインデー。





   【side 礼美】

「……パンスト兵を呼べばいいんだね? 待ってて。すぐに連れてくるから」
 勇魚の声は、虫の囁きのようにか細かった。でも大丈夫、勇魚の言いたいことは伝わったから。私は瞼を閉じた彼女をゆっくり床に下ろすと、窓を開けてベランダに飛び出した。
「――おーい! パンスト兵! 人間が、ここに二人いますよぉーっ! おーいっ!」
 慣れない大声、それも恐怖で震えた喉での声。両腕も振りぴょんぴょんと飛び跳ねて、空の向こうの一団にアピールする。何としても早く見つけてもらわないと、勇魚も私も死んでしまう。
 ……ハイグレ人間になりたくないのは、今も変わらないよ。だけど、勇魚が望むなら。私と一緒に生きたいって言うのなら!
 どんなことでもできる、そんな気がした。
 今日、勇魚のお母さんのお葬式ぶりに勇魚を見てすぐに分かった。彼女がいつもの彼女じゃないと。異常にやつれているとか瞳が虚ろだとか、部屋が整頓されていないとか……色々あるけどとにかくおかしかった。極め付きに、勇魚宛の謎の紙袋。中に入っていた領収書を見て全てを悟った。”安楽への道標”……その名前は私もインターネットで目にしていたから。
 できれば何とか説得したかった。でもまさか、勇魚が自分から毒を食べてしまうなんて。それなら私も死のうって決断するまで、一瞬だった。勇魚のいない世界で私だけが生きているなんて、想像したくもなかった。
 なのに、勇魚はわがままだよね。二人とも毒を食べちゃってから、やっぱり生きたいだなんて。そのためにハイグレ人間にならなくちゃいけないのなら、答えは決まってる。
 ……二人でハイグレ人間になって、生きていこうね……!
「おーい! こっちに来なさい! パンスト兵っ!」
 その声が届いたのか、動きが見つかったのか。一人のパンスト兵が、こちらに音もなく近づいてくる。
 また、私に気付いたのはパンスト兵だけではなかった。
「何やってるのよあんた! 止しなさいってば!」
 真下の道路から、中年のおばさんが非難してきた。でもごめんなさい、やめる訳にはいかないの。
「おーい! おーい!」
「あんた、どうなっても知らないわよっ!? ――あ、あはああああああん!」
 やって来たパンスト兵が、まずはおばさんを遠距離射撃で撃ちぬいた。肉のついたずんぐりな身体に水色のハイレグをまとい、
「ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレぇ!」
 必死にハイグレする様子には、流石に罪悪感を抱かざるを得なかった。
 直後、パンスト兵の視線がこちらを向く。空飛ぶおまるの影は上下左右に不規則に、しかし確実に大きくなる。
 そして、私の目と鼻の先にまで。パンスト兵の表情は全く分からない。けれど不思議に思っているに違いない。この地球人は何故わざわざ自分を呼んだのだろう、と。
 困惑はあれど任務は果たさせてもらう、と言わんばかりに、ゆっくりと私に銃口を向けられる。私は怯えを押し殺して、何とかパンスト兵に頼んでみた。
「……お願いします。あの子を、早く撃ってあげてください。私の、大切な人なんです……!」
 私が部屋の中を指差すと、パンスト兵も首を僅かに動かした。
「その後で私もハイグレ人間にしてくれて構いません! だから……早くあの子を! じゃないと勇魚が死んじゃう!」
 数秒の沈黙。その間に今まで経験したことがないような動悸がして、意識がクラクラし始める。私にもとうとう、毒が効き始めたんだ。
 待って、まだ倒れるわけにはいかないの。せめて勇魚が無事なのを、見届けるまでは……!
 私がガクリと立膝を付いたのと、パンスト兵がおまるを降り、私をスルーして家の中へ入っていったのはほぼ同時だった。
 パンスト兵は肩に担いだハイグレ銃で、倒れたままの勇魚にハイグレ光線を浴びせた。当然、悲鳴も抵抗もない。ピカピカと光った後、勇魚は黄緑色のハイレグに着替えさせられていた。
「ありがとう、ございます……!」
 私は重い瞼を何度も擦って意識を繋ぎつつ、礼を述べた。それが、あたしが自力で身体を立てていられた最後だった。
 さっきの勇魚のように倒れていく私。それを、さっきの私のようにパンスト兵が抱きとめてくれた。
「え……?」
 視界は霞んでいたけれど、パンスト兵が心配げに顔を近づけているのは分かった。背中を支えてくれている腕は、意外なほど逞しかった。……この瞬間、私は確実に恋に落ちていたと思う。私がノーマルだったら、の話だけど。そう、私の好きな人は勇魚ただ一人なんだから。
 その勇魚はハイグレ光線を浴びせてもらえた。あのうわ言が正しければ、これで勇魚は解毒されたことになる。もしも間違っていたら目覚めることは無いのかもしれないけど、それなら私も同じ運命だ。
「はぁ……はぁ……」
 何だか不思議な感じ。苦痛はないのに、ひたすら力が抜けてしまう。もう眠っても、いいよね?
 ……おやすみ、なさい……。
 抵抗を諦めて目を閉じようとしたその瞬間――。
「ん……あうぅっ!」
 私の全身にビリビリと刺激が走った。それはもう、どんな目覚まし時計よりも強力な目覚まし――ハイグレ光線だった。
 地球外テクノロジーの光が私のつま先から髪の先までを包み込む。疲れきった細胞の一つ一つが、別の何かに入れ替わっていくような気がした。
 そして五秒と経たないうちに、私の眠気も疲れもどこかへ完璧に吹き飛んでしまった。
「……あれ?」
 パンスト兵様の腕を抜け出して、自分の足で立ってみる。それから自分の姿を見下ろした。勇魚の家に着てきた服は失くなり、代わりに紫のハイレグ。それはそうだ、ハイグレ光線に包まれた人間は全員、この姿になるんだから。
 確か以前の私は、ハイレグなんて着たくないって思っていたはずだけど……今は全然抵抗感がない。昼間とはいえ二月の気温で水着一枚でいられるはずなんてないのに、何故か平気だし。何より、毒の眠たさが完全に消えていた。
 どれもこれもハイグレ光線の……パンスト兵様やハイグレ魔王様のお陰、ってことなんだろうな。
「あの、パンスト兵様――」
 と呼ぶと、既におまるに跨ってしまったパンスト兵様が、視線を向けてくださった。まだまだこの周辺にも人間がいる。洗脳活動を邪魔してはいけないけれど、これだけは伝えたい。
 私はガバッと足を広げると腰を落とし、V字の股間を見せ付けるようにハイグレポーズをした。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! 私たちをハイグレ人間にしていただき、本当にありがとうございましたっ! ハイグレ! ハイグレ!」
 命の恩人に、最大限の感謝を。するとパンスト兵様は小さく頷いたあと旋回し、どこへともなく飛び去っていった。私はパンスト兵様のお背中が見えなくなるまで、ハイグレをし続けた。
 全身が幸福感に満たされる。でも、私だけが幸せになるわけにはいかないという思いが、私を現実に引き戻した。
「――勇魚!」
 部屋の中へ戻り、私は黄緑のハイグレ姿の勇魚に駆け寄った。眠ったままだけど、呼吸は規則正しい。
 私と違って、勇魚がハイグレ光線を浴びせていただいたのは意識がなくなってからだ。最悪、手遅れだった可能性もある。無事に目を覚めるまでは、安心なんてできない。
「勇魚、お願い……目を覚まして……!」
 私は勇魚の少し冷えた手を強く握った。そして祈る。
 ……あなたにお母さんと、ハイグレ魔王様のご加護がありますように。ハイグレ、ハイグレ、ハイグレ……!
 この思い、勇魚に届け。
 ……もう一度……いえ、これからも毎年ずっと、あなたのお菓子を食べさせて……!
 届け。

 やがて太陽は傾き、空は赤く染まる。
 私の強い祈りが、遂に叶うときがきた。
香取犬
http://highglepostoffice.blog.fc2.com/blog-entry-52.html
2016年06月05日(日) 22時45分46秒 公開
■この作品の著作権は香取犬さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
どうもー香取犬でーす!(*^^)v
本編がクッソ重い話になってしまったので作者コメくらいは明るくいくよーっ!(/・ω・)/

まず、企画一番乗りがこんな鬱展開でごめんなさいm(_ _;)m
しかも大事なお題である料理要素もハイグレ要素も、あんまり入れられなかった(>_<)
なるべくネタ被りしないようにしたんだけど……狙いすぎて大暴投しちゃった☆(・ω<)
でもでも、ハイグレ作品では基本的に描かれないけど、もしも異星人に襲われたら本当はこんな風にパニックになると思うんだφ(..)
それと百合にも挑戦してみたよ(´ε` ) 珍しい要素ばかり混ぜ込んだからどう思われるかちょっと心配かも(;^ω^)

さて、あとは自分はいち読者として、リーダーの0106さん、お題提供の牙蓮さんなど、皆様の珠宝のハイグレ料理小説に期待させていただきます!∠(`・ω・´)
ちょっと早いですが……企画に参加させていただきありがとうございました!(●´ω`●) お疲れ様でした〜!(^.^)/~~~

*修正 ”安楽への道標”にダブルクォーテーションを付与しました

この作品の感想をお寄せください。
おハイグレー!&お疲れ様ハイグレー!(`・ω・´)ノ そして読了ー!

みなさんこぞって野心的な作品づくりに挑戦されているように見受けられる第一回ハイグレ小説企画、一番乗りの香取犬さんも負けず劣らずの他に類を見ない作品に仕上がってますぜぇ(((( ;゚Д゚)))はわわわわ……
香取犬さんがブログでおっしゃっているように、確かにハイグレ小説においては「侵略される人間の負の側面」みたいなものがあまり描かれていないですよねぇ(´・ω・`)「ハイグレは救済」みたいなハイグレ小説書き垂涎のテーマをガツンと前面に押し出すためにはこういうヘヴィーな展開も必要だなぁと思わせてくれる仕上がり具合でございます!
ヘヴィーな展開の見せ方が完全に功を奏していて、「死にたいくらいなりたくなかったハイグレ人間に、なってしまうととっても幸せ」という流れが恐ろしくもあり哀しくもあり愛おしくもあり、なにより堕ちる落差の分だけエロい……(*´д`*)しかもキマシタワ……! 個人的嗜好も相まって至高の(あるいは究極の)作品でした!!

そういえばイサナというとクジラの別名だったっけ、と木曜日のフルット情報がなぜか頭をよぎったり(`・ω・´)ノシ たぶんもっと読み込めば小ネタが更に散りばめられているような気もしますが感想長すぎになっちゃうのでこのへんでではではー!
0106 ■2016-06-20 06:39:00 38.76.239.49.rev.vmobile.jp
1番乗りにしてこのクオリティは流石ですね
女の子たちが洗脳されて思考が真逆になった様子がじっくりねっとりと書かれていて、重めのストーリーでもしっかり楽しむことが出来ました
以上、6番手による3番乗りの感想でした!(黙
ぬ。 ■2016-06-18 23:36:10 fl1-118-110-123-237.tcg.mesh.ad.jp
コメント欄ではお初の牙蓮です。

素晴らしい作品をありがとうございます!
冒頭から重いなぁ〜と思いましたが、
鬼気迫るストーリー展開に惹き込まれて読み耽っていました。
ハイグレではあまり見ない世界観を高度な描写で描き出されていて、
目の前に浮かび上がる臨場感でした。

私のムチャお題で力作をありがとうございました。
私も見習って精進致します。
牙蓮 ■2016-06-05 23:11:41 194.64.231.222.megaegg.ne.jp
一番乗りでこのクオリティとは・・・さすがっす
「料理」というハイグレとは結び付きにくいテーマを
このような物語で構成するとは想像もできませんでした

母親が刺殺されるという今までにないハードストーリー展開ですが
最後に主人公の二人が死に抗った結果 自らハイグレ人間になるという
生と死の対極性がストーリーをより深くしているように感じました

その中でテーマである「料理」の毒チョコを見事にストーリーの要として
構成できたのは流石の腕と言わざるをえません

また侵略されている人々の混乱や葛藤が丁寧に描かれており
読んでいてパニック映画さながらの情景が浮かんでくるようでした

以上 一番乗りの!一番乗りの感想でした!(大切なことなので(略))
ROMの人 ■2016-06-05 22:08:06 softbank126122109144.bbtec.net
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