【第二回】洗脳椅子 -The end of Resistance-

 ペットショップに展示されている動物たちは、こんな気分だったのだろうか。私は、実家の家族に預けてきた愛犬の姿を思い浮かべながらふと考えた。
 だがそんな思考は、甲高いモーターの駆動音によってすぐに掻き消されてしまう。
「うぅ……は、あぁ……! くぅ……うぁあ……っ」
 今の私は、とても無様な姿をショーケースの向こうに晒している。
 およそ現代人が着るとは思えない純白のハイレグ水着で身を包まれて、ヘッドホンのような装置で額と耳を覆われ、冷たく座り心地の悪いマッサージチェア風の椅子に首と両手足を拘束されている。椅子の背面から伸びた二本のアームが、私のハイレグの境目をつつい、つついとなぞるように動き出す。そしてそれと同時に耳元ではあの単語が繰り返し囁かれる。
 まるで私を、そちらの道に誘うように。
「くそ……負け、ない。私は、絶対、に……!」
 自分を奮い立たせるように呟く。しかしそれがやせ我慢に過ぎないことはとっくに自覚していた。
 一刻も早く堕ちてしまいたい。誘惑に抗って苦しい思いをし続けるより、全てを捨てて奴らの支配を受け入れたい。素直に快楽に身を任せ、気持ちよくなってしまいたい。
 私より先に諦めてしまった仲間たちの嬌声を聞かされるたびに、その思いは際限なく強くなる。
 けれど。私は最後の一人になっても戦い続けなければいけない。
 それが、仮にもレジスタンスの最高司令官であった私、高坂瑞穂の責任の取り方……!

   *

 ハイグレ魔王軍が宇宙からやって来て僅か二ヶ月で、地球は奴らの手に落ちた。総人口の99%以上が洗脳され、ハイグレ人間となり侵略者に忠誠を誓うようになってしまった。
 侵略当時警察官を生業としていた私は、必死に市民の避難誘導を行った。その最中で幾度となく、一般人や同僚が光線に撃たれて哀れなハイグレ姿に変えられる瞬間を目にしてきた。何もできなかったという悔しい無力感と、自分でなくてよかったという卑怯な安堵感。相反する感情を心の底に押し殺し、私は責務に従事し続けた。
 だが結局一ヶ月と経たず、警察組織は崩壊した。守るべき人々ももうどこにいるやら分からない状態で、すべきことなど見つかりもしなかった。運良く――運悪く、かもしれない――難を逃れてしまった私はあてどもなく彷徨った末に、地下反抗組織に保護されるに至った。そこには安全があり、食料があり、武器があり、そして何より誇り高き人間たちの意志があった。
 私は徐々に闘う心を取り戻していった。物資補給や偵察で上の世界に赴き、魔王軍に支配下に落ちた現状も知った。頼れる仲間を得、時には失った。こうして人間の最後の希望として活動するうちに、元警察官という経歴も手伝っていつしか私は組織の最高位に就くこととなった。それは裏を返せば、たかが二十三歳の小娘に全てを任さざるを得ないほど、我々が劣勢に陥っていたことをも意味するのだが。
 そして、その日はやって来た。魔王襲来から数えて、間もなく一年が経とうという日のことだった。


「――高坂司令! パンスト兵とハイグレ人間の大群が……基地内部に侵入しました!」
 赤くアラートするモニターの前で、通信長の原千代子は悔しげに報告した。長い黒髪を翻してこちらを見上げた彼女の眼鏡越しの瞳には、涙が浮かんでいた。私は深呼吸をすると、断腸の思いで宣言する。
「全隔壁を速やかに閉鎖して。この作戦司令本部にも、最高レベルのロックを掛けて」
「自分が何言ってんのか分かってんのか瑞穂! それはつまり、施設内の住民も兵士も見殺しにするってことだぞ!」
 大机にダンと手を衝き、兵長の酒井裕奈はまくし立てた。彼女のよく通る声が室内に響き渡り、衆目を集める。私は酒井さんに劣らない声量で返事をした。
「その通りですよ! 私は、レジスタンスの皆を切り捨てるんです! 文句がある人は何とでも言ってください! それでも……私はこの決断を曲げません!」
 司令本部前面に映し出された監視カメラの映像には、基地内各所の惨状がリアルタイムで映し出されている。
『いやああああ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』
『パ、パンスト兵が来るぞ!』
『助けて! 誰か助けてぇ!』
『もうやだ! どうしてこんなことに――きゃあああああああ!』
『ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレっ!』
『指示を下さい! わたしは何をすればいいんですか!?』
『皆、とにかくこっちへ逃げ――うわあああああ!』
『ハイグレ、ぐすっ……ハイグレ、ハイグレ……!』
 私の怒号の後で静まり返った室内に、幾つもの助けを求める声と、断末魔と、そしてハイグレという言葉が谺する。レジスタンスとここに住む人々、占めて八千人の人間たちのうち誰が、今日自分があの忌まわしいハイグレ人間になるかもしれないと想像しただろうか。
 だが、これが現実なのだ。昨日まで安全だったはずの基地は敵に侵入され、居住区から順に為す術無く潰されていく。ハイグレ光線銃に身を灼かれた者は、一人の例外もなくハイグレ人間に変わっていく。どれだけ抵抗しようとも、最後には笑顔で、あるいは真剣な表情で無様なポーズを晒すことになるのだ。
「こうなることを事前に防げなかった……全ては私の責任です」
 私は唇を噛みしめて呟いた。酒井さんが私に殴りかかろうとするのを、側で見ていた副兵長の三好胡桃が素早く制止させる。三好さんは普段から、気の早い酒井さんを窘める役回りだった。
「放せ胡桃! あたしは絶対に納得出来ねぇ! 力づくでも撤回させてやる!」
「撤回するのは君だ、裕奈。司令の決断に逆らうのが部下の仕事ではない」
「じゃあ目の前でやられてく皆を黙って見てろってのか!? そんなふざけた命令を聞けってのか!? あたしは嫌だ!」
「司令が一番お辛いに決まっているだろう!」
 三好さんの言葉に、酒井さんはハッとして腕を下ろした。私は酒井さんと真正面から相対し、正直な気持ちを述べた。
「……私は酷い指導者です。守るべき人々を守らないばかりか、我が身可愛さに本部に籠城しようとしているのですから」
「ですが、ハイグレ軍との戦いを諦めたわけではない」
 三好さんがそうフォローしてくれた。頷き、続ける。
「もちろんです。いつか再起の時を待ち、反抗に打って出ます」
 じゃあ、と酒井さんが乾いた唇を震わせる。
「ちゃんと、皆の仇は、取るんだな……?」
「必ず」
 断言すると、酒井さんはおもむろに椅子に腰かけた。それを見届けて、私は改めて命令を下した。
「――隔壁閉鎖」
「隔壁、閉鎖します……!」
 千代子たち通信管制系の兵士が復唱し、スイッチを押す。モニターの中で次々に隔壁が閉まってゆく。出口、あるいは施設最奥の司令本部を目指して走っていた者たちは、隔壁を涙ながらに叩いている。しかしそれは本部のスイッチでしか開かない。そして追い詰められ、ハイグレ光線を撃ち込まれる……。
『ぎゃああああ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』
「……」
 ごめんなさい、の六文字は、喉に詰まって出てこなかった。


 数時間後。基地内の混乱は一応の鎮静をみた。即ち、
『『『ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』』』
 この本部区画に残る約百名を除き、全員がハイグレ人間への転向を終えた、ということだ。監視カメラの映像で、ハイグレ姿の元仲間が映っていないものはない。そんな凄惨な光景に耐えきれず、司令室を出て休憩室に行ってしまった者も多い。千代子と酒井さん、三好さんも退出している。
 反対に、興味深そうにモニターを覗き込む小柄な少女もいたが。
「ふむ。随分派手にやられたな」
「ここあちゃん」
「高坂司令、何度も言うが下の名前ではなく我孫子と呼んでくれ。恥ずかしい」
「ここあちゃんなら、もっと被害を抑えられた?」
 お構いなく名前を呼ぶと、不満げに頬を膨らませた。そういうところがここあちゃんの可愛いところ。レジスタンス幹部の中でも最年少の十七歳にして主席研究者。飛び級で海外の大学を卒業した経歴の持ち主なので、誰からも一目置かれる存在だ。もちろん私も頼りにしている。
 ここあちゃんは白衣の前で腕を組んで唸る。
「まともに戦っていれば撃退も有り得たじゃろう。が、攻め込まれて全滅する可能性も同じだけあった。安全策をとった司令を責めることはできまいて」
「……ありがとう」
 彼女なりの励ましを受け、少し肩の力が抜けた気がした。
「それにしても」とここあちゃんは話題を逸らす。「なにゆえに攻め込まれたのじゃと考える? 基地には何重もの防護機能を張り巡らせていたはずじゃろう」
 ここあちゃんが開発設計した、電磁バリアや隔壁などの基地防衛機構。基地の場所は遠からず敵に割れてしまうという前提で、絶対に外敵の侵入を許さないように作られた。それらは、例え開発者であるここあちゃんが洗脳されてしまったとしても、外部からは解除も破壊も不可能だったはずなのに。
 であれば。恐ろしいことだが考えられるのは一つだけだ。私は小声で伝えた。
「……内通者がいる、のかもしれない」
「うむ。ワシの発明が破られるとしたら、内部からしか有り得ん。……じゃがどうする。大っぴらにスパイ探しを始めようものなら、先手を打たれかねん」
 スパイは服の下にハイレグを着込んでいるから、服をたくし上げて確認すれば分かる。けれどそんな身体検査が行われていると知られれば、スパイはすぐにでも行動を起こすだろう。
「だからまずは幹部の無事を確認する。少しでも信頼できる人を増やしたいから」
「無難な発想じゃな。ただ、一つだけ欠点を教えよう」
 ここあちゃんは勿体ぶるように一呼吸置き、続ける。
「……その作戦は通用せんぞ。なんせ――ワシがハイグレ人間なんじゃからな」
「っ!?」
「冗談じゃ」
 ぺろりと捲った服の下に見えたのは、間違いなく生白いヘソ周り。水着の布などどこにもなく、安堵する。
「心臓が止まるかと思った……」
「すまんすまん。じゃが、こうした可能性はある。それだけは覚えておくのじゃ」
 口調とは裏腹に、年相応にあどけなく笑むこころちゃん。しかし言っていい冗談と悪い冗談があると思う。
 と、そこに千代子が戻ってくる。彼女は憔悴しきった表情のまま、おぼつかない足取りで通信長席に向かおうとしていた。いくらなんでも心配になって、私は千代子を呼び寄せた。
「千代子、こっちへ来て」
「は、はい……?」
 空いている椅子に座らせると、間髪入れずに私は頭を下げた。彼女の心情は、察するに余りある。
「ごめんなさい。居住区にいた妹さんを、助けてあげられなくて」
 命令とは言え、私は千代子に隔壁閉鎖のスイッチを押させた。妹さんが逃げ切れずにハイグレ人間にされた瞬間、千代子が悔しげに俯いたことに私は気付いていた。
 千代子は、それでも気丈に笑顔を作る。
「非常事態でしたから仕方ありません。わたしは平気ですし、司令のことを恨んだりもしてません。けど」
 言葉が途切れたところで、千代子の表情は一気に崩れた。
「……レジスタンスの皆と、妹の仇、必ず取るって、約束……してください……!」
 眼鏡を外し、袖で涙を拭う。私は千代子に駆け寄り抱きしめた。私より一つ年下の彼女の身体は、今にも折れそうなほど華奢だった。
「うん。約束する。そして絶対に地球を取り戻そう。だから千代子、これからも力を貸して」
「はい、高坂司令……っ!」
 ――もしこの涙が、偽物だとしたら?
 そんな疑念がふと頭をよぎり、私は彼女の背中に回した手で気づかれないように服を捲った。その動きの意味に気付いてくれたここあちゃんが身を屈めて確認する。首肯。私は安心して抱擁を解いた。
 こんなふうに仲間を一人一人疑わなければいけないのか。そう考えるととてつもなく気が重い。ハイグレ軍の卑劣さに、無性に腹が立つ。
 千代子はひくひくと嗚咽を漏らしながら、どうにか気を落ち着かせようと深呼吸をしている。すると、
「――見苦しいから泣くんじゃねぇよ」
 いつの間にやら部屋に戻ってきていた酒井さんと三好さん。酒井さんが眉を吊り上げて近づいてきた。千代子はおっかなびっくり振り返る。
「あたしらも全員、仲間や家族を失ってんだ。辛いのがお前だけだと思うなよ。イライラすんだよ!」
「は、はいぃ……」
「酒井さん、そんな言い方――」
 激昂する酒井さんを諌めようとするが、矛先の勢いは留まることなくこちらに向けられた。
「瑞穂も瑞穂だ。司令なら一度下した命令には責任を持て! 後から謝るなんて情けない真似するんじゃねぇよ……!」
 聞かれていたのか。しかしそれは正論だと思う。私は反論の術を持ち合わせていなかった。
 酒井さんは私よりも四つ年上の元自衛隊隊員で、その頃もしばしば上官に逆らっていたそうだ。しかしそれは彼女の正義感の強さの現れであろう。私は彼女が苦手だが、どうしても嫌いにはなれなかった。
 ――ここあちゃんは言った。敵と戦っていたら全滅も有り得た、と。では、徹底抗戦を訴えた酒井さんは……?
「な、なんだよ?」
 私が反省でも怒りでもなく懐疑の眼差しをしていることに、酒井さんは面食らったようだった。一歩後ずさるので、一歩前に踏み出す。
「……ちょっと、確認したいことがあります」
「はぁ?」
 私は酒井さんの服の裾に手を伸ばす。そこで彼女は意図に感づいたようだ。
「ま、まさかあたしがスパイだって疑ってんのか!?」
「今回の失態は、スパイの存在を考えていなかったためでした。だから念のために、確認させてください」
「あたしは仲間だろう!? 信じてくれよっ!」
 声を荒らげ、必死の形相で抵抗する酒井さん。もしや、という思いが膨らんでいく。
 しかし。
「――違う、司令! そっちじゃない!」
 ここあちゃんの一喝が鋭く響く。顔を上げたときには……手遅れだった。
 ぷしゅう、という噴出音とともに、天井の換気口からピンク色の靄が降り注ぐ。それは瞬く間に司令本部を覆い尽くしてしまう。
「何ですかこれ……甘い匂いが……」
「吸うな! さ、催眠ガス、だ……!」
「くそ、ワシがもう少し、早く、気付いておれば……!」
 千代子、酒井さん、ここあちゃんの声。他にも室内にいた兵士から戸惑いの声が上がる。
 これが催眠ガスなら、空調設備をいじられたということだ。そういった機能も、本部の管制システムでしか動かせない。今、コンピュータの前にいるのは……!
「君が喧嘩っ早くて助かったよ、裕奈。司令や我孫子博士を引きつけてくれて感謝する」
 ――そうだ。普段なら、酒井さんが怒り出したら止めてくれるはずなのに、さっきは何もしなかった。そして私が千代子の服を探った瞬間も、彼女には目撃されていた……!
 人間は長く呼吸を止めることは出来ない。ガスを吸い、次第に朦朧としていく意識の中で私は、見た。
 服を脱ぎ捨て、赤いハイレグ一枚の姿に変わった三好さんを。そして三好さんが、コンピューターを素早く操作するのを。
「隔壁、解除」


 目を覚ましたときには、知らない場所にいた。
 手足と喉元を椅子に括り付けられ、頭に謎の装置を付けられ、何より衣服が白いハイレグ水着に変えられていて。
 二畳ほどの小部屋の前面はモニターになっていて、映像は中央に人影を捉えていた。
『ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』
 三好さんだった。スタイルの良い彼女がハイレグを着ると、より脚が長く見えるんだなという感想はあったが、滑稽なポーズの前にはそんなことはどうでも良かった。
「三好さん! どうしてこんなことを……!」
 どんな答えが返ってくるかは分かりきっていた。それでも、尋ねないではいられなかった。
『胡桃、何で、何でお前が……っ!』
 悲しげな酒井さんの声が、耳元のヘッドホンから届いた。どうやら酒井さんも同じ映像を見せられているようだ。その後も千代子やここあちゃんを初め、多数の仲間の怨嗟の声が聞こえてきた。
 三好さんは静かに、しかしはっきりと答える。
『私はハイグレ人間、三好胡桃。十ヶ月ほど前、私は魔王さまからご命令を賜った。――未洗脳者に反乱組織結集の動きあり。速やかに潜入し、内情を報告せよ。そしてしかるべき時には組織の攻略に力を尽くせ、と』
 ということは初めから、三好さんは奴らの手先として動いていたということか。私たちはハイグレ人間を仲間と信じ、寝食を共にしていた、と。
 誰もが息を呑み、自分たちの迂闊さに愕然とした。中でも三好さんに最も近かった酒井さんの絶望は、いかほどだろうか。
 ふふ、とここあちゃんの自虐の鼻笑いが聞こえる。
『三好副兵長。ワシも、あなたを愚かにも信頼しておったよ。あなたの意見は、発明の参考にもしていたというのに』
『私も我孫子博士の頭脳を認めている。そして同時に、君に正体を見破られることを恐れていた。……だがどうやら杞憂だったようだ。君が人を疑うことを知らない少女でよかった』
 それから再び三好さんが続ける。
『……さて。もう現状は把握しているだろう。レジスタンスの残党約百名は全員捕らえ、それぞれ小部屋に収容した。君たちには眠っている間にハイグレを着てもらったが、洗脳の類はまだ一切行っていない』
『洗脳しなかったのは、どうしてですか……? いつでも出来たはずです、よね?』
 恐る恐る千代子が聞く。返答は、こうだった。
『これまで散々ハイグレ魔王さまに反逆してきた者たちを、そう易々とハイグレ人間にしてはつまらないだろう。君たちが座っているのは、特製の洗脳椅子。微弱なハイグレ粒子とハイグレアームが体を刺激し、じわじわと心をハイグレ一色に染め上げていく装置だ。しかも君たちの声は、常に全員に共有される。果たして最初に屈服するのは誰だろうか……』
 いや、それだけじゃない。後に残れば残るほど、仲間のハイグレコールを聞き続けなければいけないということでもある。
『これは私が提案し、魔王さまも快く承諾してくれた催し物でもある。君たちがハイグレ人間に転向する瞬間を、魔王さまも今正にご覧になっている。好きなだけ抵抗して構わない。そして今までの鬱憤を晴らすため、是非とも魔王さまを楽しませてくれ』
 なんて恐ろしい……! なんて卑怯な……! 私は歯噛みした。
『高坂司令。特に、あなたには期待している。ハイグレの快楽を受け入れる瞬間、あなたがどんな表情をするのか、楽しみで仕方ないよ』
「……私は、絶対にハイグレ人間になどなりません」
『だそうだ。君たちの司令官はとても頼もしいな。では――』
 パチン、と三好さんは指を鳴らす。すると頭の後ろから機械の駆動音が響きはじめた。背もたれの裏から回り込むように前面に伸びてきたのは、左右一対のロボットアーム。横目で見ると、先端は人間の手をかたどっていた。
 そういうことか、と理解した瞬間、首輪と、肘掛けと手首との固定バンドが一段階きつく締め上げられた。続いて両足が外側にグイグイと広げられていく。当然内股にしようもない。こんな格好、女性として耐えられない。ハイレグの股布の細さも相まって、正面からは絶対に見られたくない体勢だった。
 耳元には、これから自分たちに襲いかかる悲劇におののく、呻き声や命乞いの声が聞こえてくる。こんなとき私がリーダーとしてできることは、一つしかないと思った。
「もう一度言います。皆さん、私は絶対にハイグレには屈しません。人間の誇りを決して捨てないと、皆さんに誓います。だから……!」
 私と一緒に戦い抜きましょう。後は私に任せて、楽になって。だから、の続きは仲間たちそれぞれに委ねるように、そう励ました。
 そして、
『洗脳椅子、起動!』
『きゃああああああああ!』
『嫌! いやぁっ!』
『ふぅっ……う、うぅ……!』
「……っ!」
 アームは、私の下腹部周辺まで下りてきたかと思うと、ハイレグの∨字線を描くように――つまりはハイグレポーズの真似事のように、上下に上下に何度も動いた。時に肌を擦りつつ、時に際どく触れないような隙間をもって。速度は一定間隔を保つときもあれば、意地悪く早くも遅くもなる。
 たかが機械の腕が行う珍妙な動きなど、くすぐったさや焦れったさを我慢すればどうということはない……私もそう最初は考えていた。だが実際は、全く予想の外だったのだ。
「あ、あ、あ……くぅ、ん、あっ、あ……っ!」
 ――どうして、こんなに、気持ち、い……。頭が……真っ白になる……!
 いくら声を押し殺そうとしても、徒労に終わるほどの快感が常に注ぎ込まれる。三好さんは私たちを洗脳していないと言ったが、何らかの細工はしたに違いない。でなければこんなに敏感に感じるはずはないのだから。
 アームが肌に触れるときの、絶妙な加減の刺激。それによって身を捩れば、否が応でも自分が白いハイレグ姿でいることを意識させられる拘束感。稼働するアームが、まるで本当に自分の腕であるかのように思える錯覚。
 更には、
『ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』
 モニターの向こうで三好さんが恍惚とした表情で行っている、正式なハイグレポーズとハイグレコール。そこに無意識の内に、未来の自分自身の姿を重ねてしまう。
 こうして、自分はハイグレ人間なのだと、ハイグレ人間は素晴らしいのだと、少しずつ植え付けられていく。
『やだ、こんなのやだ! ひゃああっ!』
『助け……ひぅぅ、助けてぇ……!』
『ハィ……だ、だめ、自分を、しっかり持たないと……!』
 仲間たちがハイグレと戦っている声が、ヘッドホンを通して聞こえてくる。誰もが負けるまいと踏ん張っている。それが分かるだけでどれだけ心強いか。私も、まだ戦えると思いを新たにする。
 しかし。彼女は違った。
『ハ、イ……グ……ハイ……グレ……』
「酒井、さん……!?」
『酒井兵長! 気を確かにするんじゃ!』
 覇気のない、虚ろな声。百分の一の音量で微かに聞こえてくるそれに意識を集中させれば、酒井さんのものだと知覚できた。
 三好さんがスパイだったということで、心を折られてしまったのか。だが、酒井さんは兵長。レジスタンスの仲間たちは皆彼女を慕い、また彼女の強さを信頼している。そんな酒井さんが万が一にも最初の犠牲者となってしまっては、仲間の士気が崩れかねない。ここあちゃんをはじめ、多くの激励が酒井さんに集まる。
『うぅ……。あたしは、あたし、は……』
『兵長! 酒井兵長!』
『頑張ってください! 裕奈さんっ!』
『ハ、ァっ……あたしは、酒井、裕奈……』
 何とか自我を保った酒井さん。だがそこに、嘲笑うかのように三好さんが割り込んだ。
『そう、君は酒井裕奈。レジスタンスの兵長、だった。だけど今は違う。下を向きなさい……君は何を着ている?』
『ハイ、レグ……黄色い、ハイレグ……』
『ロボットアームは何をしている?』
『ハイグレ、ポーズ……』
『そうだ。君がしないから、代わりにそれがハイグレをしてくれている。おかしいな。ハイグレを着ているハイグレ人間なら、自分でハイグレをするべきじゃないか?』
『ハイグレ、する。あたし、が……ハイグレ……』
『そう。君はハイグレ人間。受け入れろ。君はハイグレ人間、酒井裕奈だ』
『ハイグレ……あたしはハイグレ人間……ハイグレ、ハイグレ……』
『いいぞ裕奈、そのままだ。ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』
『ハイグレ、ハイグレ、ハイグレ、ハイグレ、ハイグレ……!』
 意識の隙間に潜り込むような誘導。酒井さんの反応からは、最早三好さんの声以外は届いていなさそうに推測された。
 そのとき、正面のモニターいっぱいに酒井さんの小部屋の様子が映し出された。ぐったりと洗脳椅子にもたれかかる、黄色いハイレグ姿の酒井さん。それでもよだれを垂らしながら、唇が「ハイグレ」と動き続けている。手首はピクピクと反射的に、ハイグレポーズをとろうともがいているようだ。
 元の面影の消え失せた哀れな兵長の姿に、悲鳴が上がる。
『皆が裕奈を見ているよ。ほら、今ここで宣言してしまおう。自分はハイグレ人間、酒井裕奈だ、と。そうしたら、君は本当にハイグレ人間になれる』
「や、やめてください酒井さん! あなたは人間です! ハイグレ魔王軍と戦うべき存在です! 忘れたのですか!?」
 私も狂ったように叫ぶ。だが……止められなかった。
『ハイグレ……あたしは、ハイグレ人間、酒井裕奈……。ハイグレ魔王さまに、忠誠を誓い、ます……!』
 言い終わると、酒井さんの五ヶ所の拘束が全て外れた。酒井さんはやおら立ち上がると、光が再び灯った瞳をこちらに向けて、
『ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!』
 勢い良くハイグレポーズを行った。それは酒井さんの、ハイグレ人間としての産声だった。
『まずは一人目。まさかそれが裕奈だとは思わなかったが、これはこれで面白くなりそうだ』
『そんな、嘘でしょ……』
『酒井兵長が負けるなんて……!』
『もう無理ですぅ……わたしたちみんな、ああなっちゃうんです……!』
 愉快げな三好さんの言葉、そして先程の私の危惧に違わず、仲間たちの状況はこれをきっかけに一変してしまった。
『ハイグレ……ハイグレ……ハイグレ……』
『酒井さんでもダメだったんだから、私もどうせすぐ、ハイグレ人間になっちゃうんだ』
『耐えるなんてバカらしくなっちゃったよ……ハイグレ……もうどうでもいいや。ハイグレ……!』
『皆! 諦めないでっ! う、うぁっ……ハ、イグ……!』
『あははっ! ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレ気持ちいいよぉっ!』
『やめて! 頭からハイグレが、離れないぃ……ハイ、グレ、ハイ、グレ、ハイ、グレ……』
『ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』
 酒井さんの脱落が私たちの結束に亀裂を入れる。人の心というものは、一度崩れ始めると早かった。抵抗を諦めてしまう者、快楽に身を任せてしまう者、洗脳椅子の効果が現れ始めた者。そうしてハイグレ人間と成り果てた人たちは、未洗脳者に対してハイグレコールを呪文のように聞かせて堕落を誘う。耳を塞ごうにも、手は動かせない。気を緩めれば瞬く間に、脳内はハイグレの一単語で埋め尽くされてしまう。
 声の数から察するに、既に半数は自らの意志でハイグレをするようになってしまっていた。加えて二割ほども、無意識下にハイグレを刷り込まれてしまっており、洗脳完了は遠くないと思われた。
 仲間の転向状況を逐一思い知らせ、そして何重ものハイグレコールで意識を破壊する――これが、仲間の声を敢えて聞かせる仕掛けにした最大の理由だったのだ。
「こんなの……こんなの、って……!」
 人間を玩具のように弄ぶ、ハイグレ魔王が許せなかった。でも、今の私にはどうすることもできない。唯一できるとすれば、永遠に洗脳に抵抗し続けることで、これを見ている魔王の楽しみを削いでやることくらいだろう。
 ――永遠に抵抗する。そんなのできるのだろうか。
 ロボットアームが形作るVの字。その線の下が酷く疼く。アームなんかでは全然物足りない。自分でそれを満足行くまで描きたい――。
「違うっ! ちが、ああああ!」
 私はぶんぶんと頭を振り、忍び寄る誘惑を掻き消した。息を荒らげ、抵抗に集中する。
 ハイグレコールに埋もれてはいるが、まだまだ三十人弱の人間が残っている。その人たちの声に耳を傾ければ、私も堕ちる訳にはいかないという勇気が生まれる。
 だが。
『ふぅ、ふぅ……ははは、まるでミイラ取りがミイラじゃ。ワシが、ハイグレ人間になってしまっては、な……っ』
 ここあちゃんの力無い声がした。
『次は博士か。その頭脳で散々ハイグレ軍の手をこまねかせた君が、遂に我々の軍門に降るのだな』
 続いて数分ぶりに三好さんが口を開く。映像は、水色のハイレグを着せられたここあちゃんに切り替わった。真正面をキッと睨みつける彼女の眼差しには、まだ反抗心が宿っていると見えた。
 それなのに、ここあちゃんはあろうことかこんなことを言った。
『仕方ない、じゃろう。もはやワシらに、ここから逃れる術はない……ならば潔く諦める方が利口じゃろうて』
『ははは! 聞いたか未洗脳者! あの天才、我孫子博士が認めたぞ!』
『ワシが寝返れば、ワシが関わった人間の技術も、知り得る情報も全てハイグレ軍に筒抜けとなる。じゃからワシだけは洗脳されてはいけない、そう思っていたんじゃが』
 吐息混じりに、告白する。
『……すまん。どうしても自分の好奇心に耐えきれなんだ。機械になぞられるのではなく、自らの手でハイグレをしたら、どんな心地なのか……知りたいのじゃ』
 何人かの仲間がここあちゃんに対して失望の言葉や、恨み言を投げつける。しかし私の脳裏には、別の可能性が浮かんでいた。
 もしやここあちゃんは、ハイグレ人間になることを自ら受け入れることで、洗脳を受けずに拘束から逃れようとしているのではないか。深読みをすれば、私たちがされたようにスパイとしてハイグレ軍に潜り込む気なのではないだろうか。頭が良く行動力もあるここあちゃんなら、有り得る話だと思えた。
『皆、司令……悪いのう。後は、頑張ってくれ』
「ここあちゃん……!」
『では我孫子博士、ようこそハイグレ軍へ。存分にハイグレをするといい』
 三好さんが言うと、ここあちゃんの手足が解放された。よろめくように立ち上がったここあちゃんは、躊躇いがちにがに股となり腰を沈めた。
『ほらどうした。早くハイグレをしないか』
『……そうじゃな。とても楽しみ、じゃ……』
 作り笑顔のまま、そろそろと両手を下腹部にあてがう。そして、
『はいぐれっ! ……っは、くあぁぁ……っ!』
 最初のハイグレポーズを取ってしまった後で、天を仰いだままびくんびくんと体を痙攣させるここあちゃん。数秒間、中継映像は放送事故のように固まった。
 それが明け、再び映された彼女の表情には、一片の迷いも見受けられなくなっていた。
『はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! 信じられないくらい最高の気分じゃ! 皆も早くハイグレ人間になると良い! はいぐれっ!』
 結局あれは、私の思い過ごしだったのだろうか。それとも、ここあちゃんの策謀をも上回るほどに、ハイグレの洗脳力が強かったのだろうか。
 どっちだったのか、もう知ることはできない。ただ分かるのは、ここあちゃんが完全に水色のハイグレ人間と化してしまったということだけ。
『はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ!』
『ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』
『ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!』
『ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレぇ!』
 ここあちゃんを取り込んだハイグレの合唱団は、更に十人ほど数を減らした未洗脳者をも余さず仲間に加えようと勧誘をし続ける。
 次に限界を迎えたのは、千代子だった。
『司令……は、ハィ……き、聞こえてます、か……?』
「千代子! 千代子なの!?」
 これまで長いこと声を聞いていなかった気がする。正直言って、てっきり既にハイグレコールの中に飲み込まれているものだと思っていた。それだけに彼女の生存が確認できたことは、思いがけず嬉しかった。妹を想う強い気持ちが、彼女を奮い立たせていたのかもしれない。
『ハ、イ……わたし、諦めたくない、です。グ、ぅう……妹の仇、取りたいです。けど、もう……ハイ、グ……限界です……』
「千代子……っ!」
 洗脳椅子起動直前の葛藤が再び頭をもたげる。頑張れと叱咤すべきか、頑張らなくていいと楽にしてやるべきか。
 彼女の性格や立場、そしてこの極限状態で私に縋ってきたという状況。全てを考慮して、私は言葉を決めた。
「……諦めちゃ全部おしまいよ。妹さんの仇を討つんでしょ? 私も、一緒に耐えるから!」
 私だって、この椅子の洗脳に抗うのは辛い。いっそ諦めようかと、ハイグレと口にしてしまおうかと何度も思った。それでも頑張ると決めたのは、仲間を思えばこそ。
 人は、自分のためだけには戦えない。だけど誰かのためになら、何が相手でも戦い抜ける。それを千代子にも思い出してほしくて。
 千代子はしばし黙り込み、こう呟いた。
『……司令なら、頑張れって……あ、ハ、イ、言ってくれた、のかなぁ……』
 どういうこと? だって今、私は確かに。
「聞こえてないの!? 頑張って千代子! ハイグレなんかに負けないで!」
『ねぇ、高坂司令……。やっぱり、司令はもう、ハイグレ人間になっちゃったんですか……?』
「そんなわけないでしょ! 私は、私はここに――ひゃぅ、がっ!?」
 不意打ちでロボットアームが大きくハイグレポーズをしてみせる。突然の刺激に耐えられず、尻が浮いてしまうほどに体が跳ねた。その拍子に首の拘束具が喉に食い込み、息が止まった。
 涙目になりながら「どうして」と弱音を吐いた。今のは不可抗力で、まだ決して心はハイグレに屈していない。なのにどうして千代子には、私の声が聞こえていないの?
『不思議そうだな、司令』
「……三好、さん」
 画面上に、とっくに見慣れた赤ハイレグが現れた。スパイはハイグレポーズを解き、楽しげに言う。
『君だけに特別にネタバラシをしよう。実は、司令の頭部装置は今、マイクの電源が入っていないのだ。つまり司令の声は――誰にも届いていない』
「そんな……!」
『安心してくれ。椅子を起動する前の激励は全員が聞いた。ただ……流石はまがりなりにも司令官ということか、君には人を束ねる才があるようだ。あれで君たちの士気が高まってしまったように感じたのでね、このような処置を取らせてもらった』
 だとすると、酒井さんにもここあちゃんにも、私の呼びかけは一切伝わっていなかったのか。それどころか皆には、私の無事すら教えてあげられないのか。
『ふふふ。いい顔だな、高坂司令。ハイグレ魔王さまもお喜びだぞ』
 魔王の名を出され、私は顔を引き締め直した。
『さぁ、もっと楽しませてくれ。それが大罪人である君にできる、最大の贖罪なのだから!』
 演技がかった高笑いの後、三好さんのみを映していたカメラがゆっくりズームアウトしていく。すると彼女の周りには、酒井さんやここあちゃんや……既に洗脳を済ませてしまった仲間たちが立っていることが分かった。九十人ほどのハイグレ人間が、まるで檻の中の見世物であるのように私たち未洗脳者を眺めている。すごく惨めで、悲しい気持ちだった。ずっと共に戦ってきた皆のハイレグ姿を見せつけられるというのは。
『『『ハイグレ!! ハイグレ!! ハイグレ!!』』』
「うあ、く、あぁぁっ!」
 彼女たちのハイグレポーズにピッタリ合わせて、アームがかしゅかしゅと動く。画面との一体感に、私の中に忍び込んでいるハイグレ人間としての心が否応なく興奮していく。
 私は、私だけは、あちら側の人間にはなるものか……!
 自分には「レジスタンス最高司令官」という肩書きがあり、それは組織の全員の代表だという責任を常に負う立場であることを意味する。つまり私は、肩書きそのものが抵抗を続ける理由になるということだ。
 だが、他の皆は違う。例え通信長である、千代子であっても。
『……ハイグレ……ごめんね、わたし、もう……むり……ハイグレ、ハイグレ、ハイグレ……』
 遂に千代子の頭にもハイグレが刷り込まれてしまった。私が励ませていたら、結果は違ったかもしれないが。
 首の皮一枚だけ繋がっていた彼女の意識を、しかし三好さんが無情にも断ち切った。
『先にハイグレ人間となった仲間たちが、こちらで君たちを待っている。ハイグレ人間となることを受け入れれば、君たちは仲間と再会できる』
『『『ハイグレ!! ハイグレ!! ハイグレ!!』』』
 きっと残る皆の目の前には、私とは違う画面が表示されているのだろう。三好さんのハイグレか、他の人のハイグレか、下手すれば私のハイグレポーズ姿を捏造しているかもしれない。
「負けないで、千代子。皆……っ!」
 祈るように本心を絞り出す。だが、願いは届かない。
『……わたしも、そっちに行きます……』
『ハイグレ……皆、ごめんなさい。今までハイグレを嫌がってた私を、許して……!』
『したくない、けど……ハイグレェ! ハイグレェ! 止まらないよぉ! ハイグレェ!』
『あたしもハイグレ人間に、なるよ。ハイグレ、ハイグレ……!』
『ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』
「あ、ああぁ……」
 ここまで抗ってきたはずの仲間たちが、次々に堕ちていく声がした。私の喉からは言葉にならない低い嗚咽が漏れるばかりだった。
 映像を見やる。カメラの手前側からぞろぞろと、∪バックとお尻を見せながらハイグレ人間の群れに加わっていく人影があった。数えて九人。その中にはラベンダー色のハイレグを着た千代子も含まれていた。
『『『『ハイグレ!! ハイグレ!! ハイグレ!!』』』』
 そうして千代子も大股を広げ、皆と一緒に自らの意志でハイグレポーズを取り始めた。顔面を涙やら汗やら、色んな液体で塗れさせたまま。だけどその表情は不思議と、とても幸せそうだった。
 ハイグレなんかには屈しないと、必ず魔王を撃退するのだと、洗脳された家族や友人を救うのだと、強い決意を秘めていた大事な戦友たち。
 ……だったのに。
『『『『ハイグレ!! ハイグレ!! ハイグレ!!』』』』
 今この瞬間、レジスタンスは私一人を残して、全員がハイグレ人間へと転向した。

   *

『高坂司令もわたしたちと一緒にハイグレしましょうよ! ハイグレっ!』
『身も心もハイグレに捧げる快感、司令も早く味わうのじゃ。はいぐれっ!』
『ハイグレッ! さっさと諦めたらどうだ? もう誰も瑞穂に期待なんかしてねぇよ』
 孤独な戦いが始まってどれほど経っただろうか。体感では半日くらいかとは思うが、もしかしたら一時間も進んでいないかもしれない。
 色とりどりのハイレグ水着姿を晒して、思い思いにハイグレを繰り返す。時に私を誘惑し、時に私を詰りつつ。
 特に先の酒井さんのような、私の踏ん張りを否定する言葉は辛かった。心の支柱をガリガリと削られるようだった。
 でも、彼女たちは洗脳されてしまっただけ。憎むべきはハイグレ人間じゃない。平和な地球をこんな世界に変えてしまった、ハイグレ魔王だ。仲間たちの在りし日の瞳を思い出し、その意志を継げるのは今や私しかいないのだと思うことで、自分を立て直す。
 理性はそれでよかった。だけど本能は――長時間の洗脳効果にあてられた私の内側は、ほとんどハイグレ人間のそれと化しかけていた。
「はぁ、んっ……ハイぃ……くぅっ! ハイグっ! ああぁ……っ!」
 呻きと喘ぎが綯交ぜになった声が、堪えようもなく飛び出す。かつての仲間や宿敵にこんな姿を見られていると思うと、恥ずかしいやら悔しいやら、気が狂いそうだ。
 いっそ誇りも責任も忘れて全力で喘げたら。本能が感じているハイグレの快楽に溺れてしまえたら。それはどんなに気持ちいいだろう。
 ただでさえピチピチに体を覆う白いハイレグが、汗によって更に密着している。既に皮膚と変わらないような一体感がある。なのにちょっとでも体を動かせば、敏感になった肌を容赦なく撫でていく。そうして、ああ、私はハイレグを着ているんだ、私の股間にはあの恥ずかしい切れ込みが入っているんだと改めて意識させられるのだ。
 ここでアームの動きが徐々に緩慢になる。だが、助かったとは思わない。むしろ頬が引きつるほど恐怖した。私はもう学んでしまったのだ。一旦休憩を入れた後、アームは五分以上も最高速でハイグレポーズを取り続けるプログラムになっていることを。
「ひ、嫌、嫌ぁ……! 気持ちよく、なりたく、ないよぉ……!」
 私は子供のように情けなく声を震わせた。しかし無情にも背もたれ内側から聞こえるモーターの回転数は、ぐんぐんと上昇していった。そして、地獄の時間が始まる。
「――あああああああぁぁぁあああああああぁああ! っ……ぁぁぁああああああ!」
 絶叫。息継ぎをしても、その空気もまたすぐに絶叫に使われる。
 こんなことで快感を得てしまう自分が恨めしいのもそうだし、それに負けてハイグレ人間に堕ちることも当然怖い。だけどそれら以上に辛く苦しく恐ろしいことがある。
 私は頭を快楽で真っ白に塗り潰されながらも、必死に自分の体勢を維持しようと努めていた。具体的には、腰が浮かないようにお尻と背中と後頭部を椅子方向に押さえつけていた。
 でも、それは完遂できなかった。
「かはっ! ぐ、ぅぅぅぁぁぁあああ! がっ……あああああ! ハィぃいああぁぁ!」
 びくんと腰がのたうつと、首枷が勢い良く喉に食い込んだ。首を締められる恐怖は、生物ならば誰しも知るところだろう。それが、気持ちよさが全身を満たす度に何度も襲ってくる。洗脳椅子に括り付けられた今の私にとって、快感と苦痛はイコールなのだ。
 ――この椅子に座る限り、私は苦痛を受け続ける。椅子から離れるには、ハイグレ人間にならなければいけない。そうすれば純粋な快感だけを味わうことができる。しかし私は司令として、抗うことをやめるわけにはいかない。
 私は何度もこう思った。そして自分の立場を呪った。どうして私なんかがこんな大役を担わされなければいけなかったのかと。司令官なんかでなければ、皆みたいにもっと早く素直にハイグレ人間になれたのにと。皆が羨ましい。ズルいよ。無責任にハイグレ人間になったって、誰にも咎められないんだから。私は、そんな皆のために頑張ってるのに、その頑張りさえ認めてもらえないんだ。
 虚しいよ。もう、頑張りたくないよ……。
「ふぅ、はぁ、はぁ、あ……っ」
 永遠にも思えた洗脳椅子のラッシュが終了し、通常のペースに戻る。かと言って気持ちよくないわけでは決してなく、気を張り続けなければならないことに変わりはないけれど。
『『『『ハイグレ!! ハイグレ!! ハイグレ!!』』』』
「ハイグ……う、ハイ、違う! ハひあぁっ!」
 アームがハイグレポーズを刻むのと、映像で皆がハイグレポーズを揃えるのと、それらに合わせて私の口が勝手にハイグレと吐こうとしてしまう。自分がハイグレポーズをしているのだと脳が勘違いして、快感を発生させてしまう。でもそんなのは間違いだと、私の中の人間の部分がどうにか抗っていた。
 そんなとき三好さんが、深く溜息を漏らした。
『はぁ……強情だな。いい加減に諦めないか』
「断ります……! 私は、皆さんの司令官です。わ、私には、抗戦の責務が――』
『そんなの誰も望んでいないとまだ分からないのか。これだから未洗脳者は』
『『『『ハイグレ!! ハイグレ!! ハイグレ!!』』』』
「し、しかし……っ!」
 二の句を継ぐ意志が、どんどん薄弱になっていく。否定しなければいけないのに、否定する意味を見いだせなくなっていく。
 私に期待してくれている人が今、何人いるというのだろう。私に負けないでほしいと願っている人がいると、確めることはできるのだろうか。
 ……どうせ、誰もいないんだろうな。
 それなら、もう、どうでもいいや。
 うなだれる私に言い聞かせるように、三好さんが口を開く。
『高坂瑞穂。君は間違いなく、最高の司令官だった。我々ハイグレ魔王軍をここまで手こずらせ、そして今、いじらしくも最後まで洗脳に抗っている。愚劣で下等な人間の分際ではあるが、誇り高き一人の戦士だったと認めよう。だが』
 一息、
『魔王さまがご立腹だ。君は耐えすぎたのだ。見世物として盛り上がりに欠け、玩具としてもつまらないと、先程席を立たれてしまった』
 ……もう少し早くそれを聞いていれば、私は魔王に勝ったのだと喜べたのではないかと思う。なのに私は今、どうして悲しいとさえ思っているのだろう。魔王に見放されたことに絶望するほど洗脳が進んでしまったのだろうか、それとも……。
『貴様に最早、真っ当に生きる価値は無い。ハイグレ人間となる資格も無い。これから貴様は、ハイグレ奴隷F-16380号となる。ハイグレ人間よりも更に下層の存在となり、魔王さまに楯突いたことを後悔しながら這いつくばるのだ』
「わ、私は、しれ――」
『司令じゃない。奴隷だ』
 そうか。私は、自分の存在理由を失ったことが悲しかったのか。戦う意義も、司令としての地位も、生きる価値も、何も無くなってしまったから。
「……」
 ハイグレ奴隷、F-16380号。三好さんは私をそう呼んだ。それが私の、これからの名前なのならば。それが私の、これから生きる理由ならば。
「私は……ハイグレ、奴隷……」
 そうすれば、私を認めてくれる人がいるのならば。
「私は、ハイグレ奴隷、F-16380号、です……」
 受け入れよう。
「……ハイグレっ!」
 洗脳椅子と私を繋ぐ拘束具が、かしゃりと軽い音を立てて外れた。

   *

 レジスタンスはまるごとハイグレ魔王軍に吸収される形で、第百七十四ハイグレ遊撃隊と名を変えた。そして地球各地に未だに隠れ住む愚かな未洗脳者共を転向させるため、日夜戦いを続けていた。
 二つだけ、変わったことがあるとすれば。一つは隊長の座に、三好さまが就任なされたこと。当然、全会一致の可決だった。レジスタンスにハイグレの祝福を与えてくださった功労者が、最も讃えられるべきなのは言うまでもないことだ。
 そして、もう一つは。
「おい、F-16380号」
「ハイグレっ! いかがされましたか、酒井さま」
 私は、北海道掃討作戦を無事に遂行してご帰還なされたばかりの、黄色いハイグレの酒井さまに呼ばれ、喜んで服従のハイグレポーズを行った。
「疲れた。椅子になれ」
「ハイグレっ! かしこまりました!」
 ご要望に応え、素早く四つん這いになる私。なんでも私の白ハイグレが丁度椅子のようだということで、酒井さまをはじめ多くの方々に私を使っていただいている。
 酒井さまのお尻が遠慮なくどかりと背中に落ちてくる。しかし私は椅子として衝撃を受け止める。酒井さまに少しでも快適に思っていただけているのなら良いのだけど。
 そこに続けて、水色のハイグレの上に白衣を羽織った我孫子さまがいらっしゃった。入室するや否や、きょろきょろと周囲を見回す。
「F-16380号はおらんか? 新薬の実験体にしたいのじゃが」
「悪いな博士。今あたしが使ってんだ」
 酒井さまが返事をなさると、我孫子さまは「ふむ」とお唸りになられた。
「元司令が、無様なもんじゃな。――なら、満足したら研究室によこしてほしいのじゃ。奴隷以外で試すのはちと危険なのでな」
「はいよ。ほらF-16380号、聞いたか?」
「ハイグレっ! 了解です! 喜んで実験体として働かせていただきます!」
 私はそうはっきりと答えた。すると通信席にいらっしゃったラベンダー色のハイグレ人間である原さまが、哀れみ深い目でこちらを見下ろした。
「高坂司れ……じゃなくて、F-16380号さん。もし辛ければ、言ってくださいね」
「とんでもないです。それより原さま、妹さまとのご関係はその後いかがですか?」
「初めは、わたしが魔王さまに抵抗していたことに怒って口を利いてくれませんでしたけど。今はもうすっかり元通りです」
「それなら良かったです。本当に私は、取り返しの付かないことを……」
 過去の自分の行いを悔いる私。何度謝っても足りないと自覚はしている。レジスタンスの元司令で、しかも魔王さまを楽しませられなかったこと。どちらもとんでもない大罪だ。
 しかし今は、皆さんに私を奴隷としてこき使っていただいている。偉大なるハイグレ魔王さまに反逆した私を、道具として扱っていただける。それだけで充分嬉しかった。
「無駄口を叩くな、F-16380号。今の貴様は裕奈の椅子なのだぞ」
 ああ、三好さまに怒られてしまった。私は頭を持ち上げて、何とか三好さまの赤いハイグレを視界の端に捉え、大声で謝罪をした。
「ハイグレっ! 申し訳ございません! ハイグレ奴隷F-16380号、酒井さまの椅子として精一杯頑張ります!」

   *完*
香取犬
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2016年12月27日(火) 23時19分22秒 公開
■この作品の著作権は香取犬さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
どうも、大遅刻組の香取犬です
この度は9月の締切から3ヶ月以上も遅れたことをまず第一にお詫び申し上げます
そして自分のブログ等を読んでくださっており、本作を読了された方は首を傾げられていることとは思いますが……本作は予告していた石化ハイグレ小説とは全くの別物です。すみません
何故今更になって中身を変更したのかという経緯については、ブログの方で少々弁明しております
また、椅子による拘束は『固め』に入るのか、という疑念がちょこっと残るので、一応、主となるお題は『無様』ということにいたします

さて、自分としては初めて(小説作品としても意外と珍しく?)洗脳椅子を使った物語となりました
率直に一言。書いててとっても楽しかったです! ロボットアームが勝手にハイグレポーズを取るってなかなか良い光景ですよね。しかもそれだけで堕ちちゃうのも無様極まりないと思います。また機会があれば使いたいですね、洗脳椅子

遅刻した分際で言うのもおこがましいですが、企画に参加させていただきありがとうございました! ではまたー

この作品の感想をお寄せください。
こんばんハイグレー!&お久しぶりハイグレー!&あけおめハイグレー!(`・ω・´)ノ 三ヶ日を利用して遅ればせながら今回企画作品読み周り感想書き周り中の0106でございますー!

のじゃロリ!のじゃロリ!のじゃロリ!(*´д`*)大事なコトなので3回言いました(謎
そう言われれば、たしかに洗脳椅子がハイグレSSで活用されているのは珍しいかもです(*´д`*)拘束して自動でガションガションハイグレポーズ取るアームが付いてるだけのシンプルな構造の洗脳器具なせいでSSでは扱いが難しかろうという理由だからかもしれないけれど、そこは手練れの香取犬さん、視覚聴覚への責め苦を巧みに併用駆使しての濃密な洗脳へと昇華さえていて素晴らしいお手並みやでえ……!
高坂司令のこれまでの経緯からの奮闘、捕獲、調教、洗脳、隷属によってひとりの女性の人生をハイグレに染め上げる物語展開の力強さはこれまで通り定評のある香取犬さん手ずからの安定したえっちぃ作品に仕上がってると思うと同時に、他方、先に挙げた「のじゃロリ」ここあちゃんの存在が香取犬さん作品の中ではちょっと異質に感じられて新鮮だったり(`・ω・´)「奇抜なキャラクターで魅せる」というカードも持ってらっしゃったのか!とハイグレ小説書きとしての引き出しの多さに驚愕しつつ、私はここあちゃんの再登場を切に願う!(謎嘆願
作品自体の素晴らしさもさることながら、年内に投下したいただけたという事自体も、年の瀬大わらわでSS書いていた私を強く励ましてもらって本当にありがたかったです(`・ω・´)ノシ 今年もハァハァな作品楽しみにさせていただきますといったところでこのへんでではではー!
0106 ■2017-01-03 01:44:59 209.208.138.210.rev.vmobile.jp
企画作お疲れ様です。
いつもながら読者を惹き込む構成力にすっかり魅了されました。
冒頭で登場人物のキャラと関係性を描くばかりか、スパイとして動く故の「いつもと違う」行動までを僅か5,000字で折り込まれたのですから、ただただ感服するばかりです。
そして逃げられない状況の中、ショーとして洗脳される姿はやはり無様で興奮しますね!
洗脳椅子と分娩台という違いはありますが、私も拘束を「固め」と捉えていたので企画参加者としても内心ほっとしております(笑)
本年も素敵な作品をありがとうございました、今後もよろしくお願いします。
牙蓮 ■2016-12-30 23:33:27 38.117.168.203.megaegg.ne.jp
お疲れ様です
やはりハイグレには勝てなかったよ(白目)
絶対に負けないという健気な想いを跡形もなく粉々にする様って素晴らしいですよね
香取犬さんの作品は「美」があると個人的に思っております
満足 ■2016-12-29 20:21:25 om126161049168.8.openmobile.ne.jp
お疲れ様でしたーお待ちしておりましたよ(`・ω・´)
コメントファイターのROMさんに感想1番乗りとられた上に言いたいことを全て言われてしまったぜ
さすがの構成力でした。温め中の石化作品も楽しみですね
洗脳椅子は人気のシチュというか小道具ですし、使い方や機能なども幅があるのでむふふな展開にまた使ってくれることを期待しております
それではまた(`・ω・´)ノシ
ぬ。 ■2016-12-28 00:57:24 fl1-118-110-123-237.tcg.mesh.ad.jp

短い文章の中でこれだけの世界観・キャラの個性をしっかり描き出せるのは相変わらず凄いです
仲間をやむなく見捨てるシーンであったり スパイ暴露シーンであったり かつての仲間が堕ちていくのを見ながら洗脳拷問を受けるシーンであったり ほかにも見どころ(抜きどころ)が盛りだくさん さすがはハイグレ界のネゴシエイター香取犬氏()ニッチな性癖のツボを心得ている 年の瀬に良いものが見れました
ROMの人 ■2016-12-28 00:44:37 softbank126122125029.bbtec.net
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