【第4回】ハイグレ騎士
 穏やかな日差しに包まれた大地を抜ける、爽やかなそよ風。山麓まで連綿と続く緑の絨毯が波打ち踊るこの景色こそまさに心躍るというもの。潮の残り香がなければ本当に、ここが船上であることを忘れてしまいそうな絶景が広がっていたのだが……。

「くっ、急がなくては……!」

 そんな遺跡船、――古代人が遺した島の如き巨船の神秘に思いを馳せる余裕など彼女にはなかった。少女の名は、クロエ・ヴァレンス。流浪の騎士としてある男の行方を追い遺跡船を訪れていた彼女だったが、山賊による誘拐事件が起きたと聞いては黙っていられずこうして彼らのアジト目指して街道を駆け回っている。

「時間がない、こっちだ!」

 逸る気持ちのまま、道を外れ独り森の中へと分け入っていくクロエ。その行動は一見無鉄砲なものに思えるものの、彼女なりに根拠があっての判断だった。
 以前よりこの辺りは鍛錬も兼ねて何度か見回っており、単にショートカットとしての利便性だけでなく森の深さや構造までちゃんと頭に入っている。攫われたという少女はきっと今も、不安で押し潰されそうに違いあるまい。そんな彼女を想ってクロエは、木漏れ日差し込む獣道を足早に突き進んでいく。

  ザッ ザッ ザッ ザッ

       ――ぅうん……

「な、何だ……?」

 若草を踏み分け中程まで来た辺りで不意に耳を突く呻き声に、ハッと息を飲み立ち止まる。まさか、誘拐された少女のものかっ!? そんな焦りにも似た激情に突き動かされ、クロエは必死に声の主を求めて耳を澄ませる。

  ザァァァ――

 しかし、届くのは風に揺れる涼やかな葉音ばかり。少女の声はおろか、森を荒らす足音一つとして存在しない大自然のハーモニーだけがただ一人の観客を包み込んでいた。

「空耳、だったのか? はぁ……」

 乾いた笑みが不協和音となって森の中へ零れ落ちていく。また、やってしまった……。いつも立ち止まった時に気付かされる己の視野の狭さが、ホント嫌になってくる。一呼吸ついて落ち着いたとはいえ、そんな自己嫌悪が彼女の心にじわじわと暗い影を落としていたが……。

「いや、いつまでも落ち込んではいられないな。一刻も早く、少女を救出しなければ……!」

 闇に呑まれる寸前、彼女はブンブンと首を振って自ら迷いや憂いといったものを払い去る。騎士として、成すべきことを――! 今は亡き両親から受け継いだその志を今一度胸に抱き締め、凛とした表情を顔に貼り付かせると力強く新たな一歩を踏み出していった。

  ザッ ザッ ザッ――

「ん、あれは……?」

 しかし幾らも進まないうちに再び、彼女の足は動きを止めてしまう。諦めず前を向いたことが功を奏して、木々の間で揺らめく手掛かりを今度はハッキリとその瞳に捉えることができたのだ。

「赤紫色の、帯……? いや違う、人の髪の毛かっ!」

 一つ見つければそれを皮切りに次々と後頭部を始め、百合のような純白の上衣、そしてスラッと伸びる眩しい素足までもが鮮明に見て取れる。やはりさっきの呻き声は、間違いじゃなかったんだ! そんな充足感に一層心を滾らせ、緑の闇に消えていく人影を追ってクロエは道なき道へと踏み込んでいった……。






「ふぅ。確かこの辺りだったわよねぇ?」
「ッ!?」

 遅れないようにと不安定な足元ばかりに気を取られ進んでいたクロエを突然、落ち着いた女性の声が出迎える。近付き過ぎて、気付かれてしまったのだろうか? 緊張で上手く回らない頭とは裏腹に、本能に従って体は滑らかな動きで手近な藪へと消えていく。

  ガサッ……

「とはいえ既に見つかっているのだとしたら、これでは意味がない。まずは相手の出方を探らないと――なぁっ!!?」

 意を決して幾重にも重なる葉の隙間へと視線を向けたクロエだったが、その瞳には予想外の光景が飛び込んできた。現在隠れている茂みを抜けた先は明るく開けており、まるで図ったかのような天然の野営場が広がっている。木々の姿はなく穏やかな日差しに照らされたそこは足下の草達にとって辛いのか、褐色の大地が剥き出しの一角は緑の森の中で酷く目立つ。
 しかしクロエを驚かせたのはそんな景色ではない。スポットライトを一身に浴びる舞台俳優の如く、広場の中央に陣取った二人の女性達の異様な風体にただただ目を見開くばかりだった。

「な、何で二人とも、水着なんだ……?」



 やっとことで絞り出せたのは、その一言。手掛かりをくれた髪の毛が実は口を塞がれ手足を縛られた少女のものであり、溢れんばかりの涙も省みられず担ぎ上げられていることすら今はどうでもいい。周囲の景観を全く無視し、縄下で彼女の体を更に締め上げる紫色のハイレグ水着に、そして彼女を抱える女性の青いハイレグ水着に白衣という、余りにもアンバランスな組み合わせにクロエは本能的な恐怖を感じ取っていた。

「ど、どうすればいいんだ? とにかくまだ見つかってはいないようだし、このまま様子を――」
「博士ー、お待たせしましたぁ〜♪」

  ガザザッ

 高鳴る鼓動の中見守っていたクロエの心臓が再び跳ね上がる。他方の草影が激しく揺れたかと思うと、尻餅をつく彼女を余所に一人の少女が広場へ飛び出していった。

「あらあら、遅かったのねぇ?」
「ぶー、しょうがないじゃないですかぁー。言われた通り街の様子を見てきましたけどぉ、何か暴力事件とか色々あって立て込んでるみたいでしたよ。すっごいピリピリしてて、出てくるの大変だったんですからねっ!」

 拳を体の前で上下させる姿は年相応の可愛らしい仕草に見えるものの、外見が印象を大きく狂わせていく。彼女も他二人と同じく白のハイレグ水着一枚で森の中へ立っているというのに、まるで恥ずかしがる様子を見せない。潜入時の供と思われる背中のリュックからはワンピースの袖口がだらんと垂れ下がっており、疑いようのない異常性をクロエに確信させる。

「だがあの、肩口の紋章……。それに船の備品で手足を飾る独特の装飾は確か沿岸警備隊の、マリントルーパーのものだったはず。その彼女がこんな森の中で、しかも実戦用とは思えない無防備な出で立ちでいるなんて……。一体、何者なんだ?」

 様々な情報が交錯する異常事態に混乱しながらも、クロエはしきりに目線を走らせ考えていく。ひょっとしたら、何か訳があるのかもしれない。実は極秘任務を請けていて、潜入のための衣装だとか取引の目印だとか色々理由は思い浮かぶ。
 いずれにしても、最悪の予想さえ外れていれば何でもいい。どうか彼女達が、自分の追う誘拐犯ではありませんように……。そんな願いを切に祈りながら、何とかここを離れる口実を見つけられないものかと再び会話へ耳を傾けていく。

「――って感じでしたから、また山賊達が騒いでるんだと思いますよ〜」
「なるほどなるほど、それは好都合ねぇ。あなたの働きにはいつも感謝してるわ、ありがとう」
「えー、そんな事言ってぇ〜。ホントに思ってるんですかぁ?」
「えぇ、ホントよホント。そもそもあなたの操船技術がなければこうして遺跡船まで来られないんだから、当たり前じゃない」

 その証だと言わんばかりに軽く肩を揺すって、戦利品のように示される水着姿の少女。くぐもった呻きがクロエの下にまで届いたものの、当の二人には聞こえてすらいないかのようだった。

「それにしてもホントいい場所よねぇ、ここ。国のお偉いさん達が『特定の占有権を主張しない』とか何とか言って手を出さないでいてくれるから、街さえ離れれば未だに未踏の無法地帯なんですもの、フフフ……」
「ですよねぇー! しかも学者やトレジャーハンターの連中って単独行動が多いですから、失踪扱いになって誘拐し放題ですしぃ〜。ホント遺跡船バンザーイ、って感じですね☆」

「なっ……!!」

 耳を疑いたくなるような物言いに、クロエの魂は否応なく燃え上がる。よりにもよって、未踏の無法地帯だと? 世界共通の遺産として保護を目指す崇高な理念を理解しようともせず、まして人を人とも思わない犯罪行為を平然と行うだなんて許されるはずがない。己の対極に位置する巨悪への怒りの前では先程の恐怖も瞬く間に消え失せ、ありったけの怒りを爪に宿らせクロエは飛び出していった。

「じゃあ、山賊達が引っ掻き回してくれている間に私達も――」

  「――そこまでだっ!」

「!!?」

 賊達の会話を突き破って広場へ躍り出ると迷いなく抜剣し、闘志溢れる口上を森中に響かせる。

「不埒な誘拐犯共めっ! その腐った根性を私、クロエ・ヴァレンスが叩き直してやる!」
「あ、あらあら……。いつからいたのかしら、このお嬢さん?」
「げぇぇ〜、もしかしてつけられてたんですかあたしぃ? どうせならこっちじゃなくて山賊のアジトの方へ――ってかぁっ、博士博士っ!? あいつの爪、光ってますよぉぉーっ!」
「あらあら、本当ねぇ。ただのお嬢さんかと思えば追手の爪術士だなんて、ホントどうしましょう?」

 格好が格好だけに、緊張感のない台詞の応酬は滑稽なコントにしか見えないけれども目に見えて狼狽え慄いている犯人達。対して潤んだ茶の双眸は希望の星の出現に輝きを取り戻し、抵抗の叫びにも再び力が籠る。
 もう大丈夫だ、私が来たからには心配する必要はない……。そんな想いで一つ少女に向けて頷くとクロエはじりじりと下がる犯人組を逃がすまいと勇ましく広場の中央へ踏み込んでいく。

「さっきまでの余裕はどうしたんだ? いたいけな少女を拐かしたばかりか、破廉恥な格好のまま引き回すとは言語道断! そのような非道な振る舞いを、黙って見過ごされるなんて思ってないだろ――

  ――ブンッ

 うぐぅっ!!?」

 キッと眼前を睨め付けていたクロエを突然、強烈な衝撃が襲った。まるでエッグベアにど突かれたような鈍い痛みが走る後頭部。完全に予期していなかった一撃に左手は自然と伸びていき、クロエを更なる窮地へと追い込んでいく。

「がら空きなんだよっ、と!」
「あぁっ!?」

  カラン、カラン……

 崩れた態勢では迫り来る追撃に対応することもままならず、利き手をいとも簡単に弾き上げられた結果、主を失った得物が綺麗な弧を描いて誘拐犯二人の遥か後方へと転がっていく。

「フフッ。さっきまでの余裕はどうしたのかしらね、お嬢ちゃん?」

 一転して大海の如き穏やかな笑みを取り戻し、片膝を突くクロエへ視線を送る『博士』と呼ばれた青ハイレグの女性。呼応するようにくぐもった嗚咽までもが一層激しさを増し、クロエにもようやく自分の滑稽さが把握できたものの既に後の祭りであった。

「あなたもいいタイミングで戻ってくれて、助かったわ」
「ハッ、よく言うよ。こんな奴あんたの敵じゃないだろうに」

 立ち上がれないクロエの横を悠然と過ぎ行き、襲撃者は犯人達の下に並び立った。例に漏れず森にマッチした豹柄のハイレグ水着を着た、体格のいい女性。得物は右手の棍棒一つとはいえ、先程の威力を考えれば今のクロエに勝機は見いだせない。

「まぁいいじゃない、そんなこと。ところであなたは手ぶらのようだけど、『仕入れ』はどうしたの?」
「いやっ、それがさ……。いい奴見つけたから跡をつけてはみたんだけど、魔物の巣に突っ込んでいっちまったから仕方なく引き返してきたんだよ」
「ププッ、『山賊』さんが怖気付くなんて珍しいですねー☆」

 すっかり見下した彼女らはクロエの事など忘れたかのように身内の会話を繰り広げていくが、クロエも押し黙るしかない。それはもちろん意味が分からず問いただし様がないという事もあるが、『仕入れ』という単語から否応なく、自分の今後を想像してしまったのだった。

「でもよかったですね! 丁度いい娘が飛び込んできたじゃないですかぁ☆」
「あ、あぁ……」

 やはりというべきか、その一声を受けて三人の視線がクロエへ集中する。間違いない、こいつらは自分を誘拐対象として見定めているっ! 恐れていた事が今まさに現実のものとなり、クロエは恥も外聞もなく地を這い後ずさるものの、そのなけなしの気力さえも挫いてしまう現実が眼前へ突きつけられたのだった。

「爪と……、スカルプチャが光っている!?」
「フフフ、実は私もブレス系爪術士なのよねぇ。あなたが咎める誘拐も、全てはこの力を活かすため。長く険しい道を極め、希少種『ジェントルパンスト』のスカルプチャ8190個によって切り拓きつつある桃色の未来なんて、とっても素敵でしょう?」

 うっとりとした面持ちで腕を水平に掲げる『博士』とは対照的に、クロエの口からはガタガタと声にならない悲鳴が漏れていく。
 スカルプチャといえば魔物の体内で結晶化されたエネルギー体であり、ブレス系爪術士が術を行使するために必要不可欠な宝石のこと。クロエ自身には経験がない事とはいえ、種族で大別される一般的な呪文書でも術の行使に必要な数を集めるには熟練の戦闘技術と長い忍耐が必要だと多くの爪術士の愚痴を聞かされてきた。それを出会うだけでも難しい希少種単体に特化させ、しかも途方もない数で練り上げた術だなんて内容を聞くまでもなく震えが止まらない。

「そんな術、耐えられるわけが……。頼む、やめてく――」
「あらあら、心配ないわよ? この呪文書に載ってる調教術はどれも状態変化を付与するものばかりだから、物理的なダメージを負うことはないわ。さぁ、これであなたも私達と同じ『ハイグレ人間』となって、世にハイグレの旋風を巻き起こすのよ――!」

  きゃあぁぁぁぁぁっ――!!

 容赦なく振り下ろされた『博士』の爪から桃色の光線が発射され、瞬く間にクロエの全身を覆い尽くす。眩い輝きに包まれ、自分という存在が希薄になっていくのを感じる傍らこれまでに経験のない締め付けが体を襲い、彼女の意識は光へ溶けていった……。










    数週間後……



 こうしてもう一つの誘拐事件は誰にも気付かれることなくひっそりと幕を閉じ、遺跡船は役者不足のまま嵐の中へと舵を切ろうとしていた。しかし今の段階ではまだ大陸から遠く離れた孤島で繰り広げられる小さな諍い程度に過ぎず、関心を示す国は少ない。彼女が連れ去られた先もまさに、そんな風潮漂う穏やかな土地であった。

「ま、待たせたな……」

 夜の賑わいに燃える店内をクロエは盆を手に立ち回っていた。ここは大陸中央部から大きく外れたとある国の首都であり、覇権闘争とは無縁の国風に浸りきった者達が今日も癒しを求めて夜の街を埋め尽くしている。
 そんな人々が行き交う歓楽街の場末に、一風変わったショーパブが佇む。その名は『ハイグレ』。従業員は全員ハイレグ水着を基調とした衣装に興奮してやまない『ハイグレ人間』を名乗り、恥じらいを捨てた独特の言動で織り成す非日常の世界観が密かなブームを呼びつつあった。

「これが注文のボトルと、マーボーカレースープだ。しっかり味わってくれよっ、――ッ、ハイグレッ! ハイグレッ!」

 豪勢に丸テーブルを貸し切る馴染み客の前へ料理を並び終えるとクロエはすぐさま屈み込み、我が身に張り付くド派手なレモン色のハイレグ水着を強調する店自慢のポーズで彼らを促した。キュッ、キュッと音が立ちそうな衣擦れの感覚に、思わず顔が歪む。しかし通い詰めた彼らにとってその態度もいい酒の肴に過ぎず、上機嫌に呷ったグラスをクロエへ向け気さくに傾けてくる。

「いやぁ〜、旨いっ! ピッチリ美女を眺めながらのこの一杯、一日の疲れも吹っ飛ぶってもんだ。ほら、偶にはあんたも一緒にどうだ?」
「い、いや……。私は任務中だから遠慮しておこう」
「ったく、相変わらずお堅い騎士様だねぇあんたも。うちの兵卒共にも見習わせたいもんだぜ」

 幸か不幸かそれ以上の要求はなく、残りの液体を満足気に飲み干す彼をホッとした思いで見つめるクロエ。彼に限らずいつも真面目なクロエが気に入られているのは確かであり、向かいに座る同輩も実に饒舌であった。

「だよなぁ〜。特に今は女兵士の実力が圧倒的に足りてない! 曲がりなりにもこのまま王都配属を続けたいってんならいっそ、こいつらの装備を試してスピードを上げてみるとか誠意ってもんを見せてみろってんだっ」

  ガハハハッ――

 異性の目も気にせず吐き出された卑猥なジョークが場を更に盛り上げ、爆笑の渦を巻き起こしていく。そんな自ら作り出した空気にすら酔ったのか、男達のピッチはどんどん早くなっていき相席する給仕係も手を止める暇がないほどだった。

「どんどん呑んでくださいね〜、ハイグレッ! ハイグレッ!」

 嬉々として対応する彼女もこの店の従業員である以上もちろん、れっきとしたハイグレ人間である。えげつない角度のハイレグ水着が取り入れられているとはいえ、濃紺の王道的なバニースーツに身を包んだ『ハイグレバニー』の彼女はただ給仕するばかりか、丸テーブルを取り囲むソファの上に乗り蹲踞の姿勢で客の目を絶えず楽しませていた。

「ほらっ、ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ♪」

 そしてボトルを手放すや否や、腰を反らしてこれでもかと見せつけながら煽るようにポーズを繰り返していく。客を乗せて効率よく売り上げを増やす効果的なサービスではあったものの、傍から見れば無様以外何物でもない。こんな恰好を自分にまで求められては敵わないと、クロエはさっさと退散すべく自ら膝を曲げていった。

「では、私はこれで失礼するぞ。用がある時は是非この私を、――『ハイグレ騎士』を指名してくれよなっ、ハイグレッ! ハイグレッ!」
「おぅ、『了解した』ってな♪ しっかり頑張れよ『ハイグレ騎士』様っ!」
「ハイィィッ!」

  パシィーン!

 すんなり解放され安堵したのも束の間、背を向けるクロエのお尻を男の手が軽快に弾き上げていった。思わず飛び上がりひんやりした盆でお尻をさするクロエだったが、その姿さえも笑いの種にされてしまう。込み上げる思いをグッと押し殺し、彼らに呼び戻される前にそそくさとその場を後にした……。




「くっ……。なにが『ハイグレ騎士』、だ……」

 再び呼び止められないよう足早に店内を抜けると植え込みの陰に身を隠し、そっと目元を拭う。確かに今は夢にまで見た『騎士』として皆扱ってくれているとはいえ、こんな男を悦ばすためだけの肩書なんて嬉しいはずがない。加えて女の尊厳を打ち砕く破廉恥なハイレグ水着を着せられたばかりか、自らの剣を極めるために突き詰めたタイツ地の衣装やマント、帽子に果ては模造品とはいえ腰の剣まで揃った日常と何一つ変わらぬ服装を『ハイグレ騎士』のインナーとして遊女のコスプレに組み込まれてしまい、これ以上ない屈辱を日々クロエの心に刻み続けていた。

「だが、ここで挫けるわけにはいかない。いつかきっと、脱出の機会もめぐ――」
「あらあら、何の機会が巡ってくるのかしら〜?」

 不意に背中へ走る柔らかい感触と人肌の温もりに、全身が凍り付く。

「別にいいのよ、サボっていても。ただ私もちょ〜っと休ませてもらったらきっと、素敵な笑顔を見せてくれるのよねぇ?」

 ギシギシと軋む首を回した先にはやはり、アメジストのような澄んだ瞳が映る。クロエをこの状況に追い込んだ張本人、『ハイグレ博士』はあの時と変わらない余裕の笑みを湛えて背後から嬉しそうに抱き着いていた。

「すっ、すまない博士っ。すぐに仕事へ戻るからそれだけは……」
「あらあら、遠慮しなくていいのよ。騎士ちゃんは私のお気に入りだからずっと一緒にいたいんですもの♪」

 言動はあくまで穏やかなものの、クロエにとっては恐怖の対象でしかない。そんな思いすらも見透かしたように、博士は体を離すとそっとクロエの背筋へと指を這わせ、ハイレグ水着、そしてその下のタイツの存在をじっくり認識させるべくツゥーッと撫で上げていった。
 そもそもここの従業員はクロエと同様に攫われてきた者がほとんどであるから当然、管理するシステムが無数に施されている。毎日の生活リズムの管理に始まり接客の訓練、ペナルティの研修と多岐に渡る中、最も彼女達を飼い慣らし縛り付けているのはハイグレ人間の証ともいえるハイレグ水着の制約であった。
 ハイグレ博士の掲げる『ハイグレ人間はいかなる時もハイグレポーズを捧げる準備を』という方針に従い、着替えは全て許可制となっている。それは標語のような生温い枠を遥かに飛び越えたものであり、一定の密着面積を下回ると強制的に衣服が体から離れなくなる術で制御されているのだから従業員達に拒否権はない。これだけでも十分年頃の女の子にとって辛い仕打ちにも関わらず、クロエの場合はインナーが体のほぼ全体を覆っているため洗濯や湯浴みはおろか、排泄のタイミングさえも博士に握られてしまい体のいい玩具として弄ばれているのだった。

「しかしっ……。数多の術を制御している貴女にこれ以上の負担を強いるのは騎士の道に反するし、何より同じ爪術士として申し訳ない。その気持ちだけ有り難く受け取らせてもらおう」
「フフッ、騎士ちゃんはホント優しいのねぇ。内心遊ばれて悔しい癖に、そんな無理しちゃって♪」

  ――チュッ

 何が起きたのか理解が及ばず、一拍遅れて焦り始めたクロエをニマニマと眺めるハイグレ博士。しかしその顔を満たす支配者の笑みは急速に消え去っていき、店長としての笑顔に取って代わる。

「まぁ騎士ちゃんは初心で真面目だから評判もいいし、今は見逃しといてあげるわ。それより早く、お客さんの所へ戻りましょ? 確か八番さんが呼んでたはずだから、騎士ちゃんに行ってもら――」




「おっ、お客様がお帰りでーす……」

 唐突に始まった博士の業務命令を遮るように、自信無げな声が店内に響き渡った。正直まだ切り替えが追い付いていないクロエにとっては、またとない助け舟となる。声に導かれ戸口へ向き直る博士や他のスタッフに倣い、体の向きを変えると迷いなく股を開いてその時を待つ。

「今日はお越し頂きあっ、ありがとうございます。ハイグレッ! ハイグレッ!」

 店中の視線を一身に浴びて、恥ずかしそうにハイグレポーズを披露するのはクロエと共に連れ去られたあの少女であった。当時と変わらぬ紫色のハイレグ水着に身を包み、大事な所が一切隠れていない寸足らずの花柄エプロンと精巧な薔薇細工の髪飾りで彩る彼女は『ハイグレ花屋』として店に立ち続けている。


  『――またのお越しをお待ちしております、ハイグレッ! ハイグレッ!』


 そんな彼女の挨拶を合図として、キャスト全員の感謝が退店間近の客へ送られる。さすがに接客中の者は参加できないとはいえ、去り行く自分達のためだけに多くの女性が股を開く光景は圧巻の一言に尽きる。最後の最後に受けたそのサービスが忘れられず、もう一度足を運びたくなるこの店自慢の戦略であった。

「うぅ、また目が合ってしまった……」
「あらあら、いいことじゃないの。数多のハイグレ人間の中から騎士ちゃんだけを見てもらえるなんて、とっても光栄なことよ? ほらっ、サービスして、ハイグレッ! ハイグレッ!」
「くぅっ、ハイグレッ! ハイグレッ!」

 結局気を持ち直そうにも再び博士に乗せられてしまい、ハイグレポーズを繰り返すクロエ。その目線は必然的に戸口の方へ、――花屋へと向けられたものの彼女の行動を捉えた途端泡を食って走る羽目となる。

「えっと、じゃあ……。扉をお開けします、ね……」

 そんな事とは露知らず、ハイグレ花屋は最後まで客を見送ろうと懸命に業務をこなしていく。一方のクロエは客だけでなく料理を運ぶハイグレ人間にも注意しなければならないのだから、到底間に合うはずもない。

「ダメだ、花屋っ! それ以上外に出たら――」
「では……、またのお越しをお待――ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」

 戸を押し開け自らの体で塞き止めようと踏み出した彼女は唐突にハイグレポーズを始め、敷居を跨ぐ客達をコールで見送る。しかし尚もポーズをやめようとはせず、彼らの背中が人混みに消えようが全くお構いなしだった。

「くっ、間に合わなかったか……」
「それにしてもホント好きねぇ、この娘。一体、何回目かしら?」

 クロエに遅れてハイグレ博士も店先へ辿り着いたものの、珍しく眉を下げ溜息を抑えることができない。それもそのはず、この光景は彼女達にとって既視感を覚えつつある頭の痛い問題であったのだから。
 誘拐した女性達を店員として使う以上当然、脱走の危険は付いて回る。それを防止するために仕込まれているのが、この店を発動キーとした強制ハイグレポーズの時間差術式であった。術者である博士の了解なしにハイグレ人間が一歩でも店の外へ踏み出した瞬間、体が勝手にハイグレポーズを刻み続け解呪を待つだけの人形になり果ててしまう。故にスタッフには全員、事故が起こらないよう真っ先に研修されているのだが花屋は身を以て経験しても中々覚えられないでいる。

「接客に一生懸命なのは羨ましい事だが、こうも続くと何とも……」
「でも、彼女のお陰であなたも脱走の危険を前もって理解できたのでしょう? 服を脱いだ時に逃げれば公道で裸ハイグレの刑、たとえ私の目を盗んで逃げても一生その格好のままなんですもの♪ 騎士ちゃんもいいお友達を持ったわねぇ〜」

 と、クロエをからかいつつも博士は進んで戸口へと向かい、花屋の腋を抱えると店内へ運び入れていく。

「じゃあいつものように、後は騎士ちゃんにお願いするわね?」
「あ、あぁ。了解した」

 もはや互いに細かな確認など不要であり、花屋を受け渡すとそのまま博士は店内へ戻っていった。ずっしりとした人の重みがクロエの両腕にのしかかり、守れなかったものの大きさを改めて実感させる。そんな十字架に少しでも報いることができればと、最後の演出をより引き立たせる入口の段差を懸命に上りながら彼女の耳元でそっと囁いた。

「大丈夫だ、心配ない。私がまた数日用足しを我慢すればすぐに解呪してくれるはずだから、閉店までの辛抱だぞ」
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」

 力の入らない人間を運ぶ大仕事とはいえ、何とか受付カウンターまで戻るとその隣へ静かに花屋を下ろしてやる。

「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」

 そんなクロエへ向けられるのは、感謝と謝罪の瞳。生ける花輪として立ち尽くす彼女の視線が今尚タイツの内腿に薄っすらと残る滲みへ注がれていると知りながらも、クロエはマントを翻し力強い足取りで入り口を後にした……。




「あー、ハイグレ騎士ちゃん! 十三番さんへのお届けお願いねぇー☆」

 再び店内へ戻ると休む間もなく、新たな業務がクロエへ言い渡される。

「りょ、了解した。ところでオーダーの中身は――」
「えーっと、そこは大丈夫っ! 実は花屋ちゃんの配膳込みで指名されてた注文ですからぁ、もう届けるだけなんですよね♪」

 少し首を傾げながらも彼女、『ハイグレ水兵』はハキハキと向けられた問いに的確な解を示す。透き通るような白い水着が張り付く体はまだ幼さが残るものの、この店の副店長としてホール運営を見事にこなす姿はクロエを始め多くのハイグレ人間達から一目置かれている。いつも明るいそのキャラに励まされる者も多く、森で博士が告げたあの賞賛もあながち冗談とは思えなかった。

「分かった。では私は厨房へと向かうとしよう」
「うん、お願ぁい♪」

 パタパタと次の調整へ走る彼女を見送り、クロエも店の奥へと向かい歩を進めていく。目指す先は、最奥の休憩所兼居住空間へ続く扉の隣に広がる独特な空気感を纏った一角。店の品目を列記した黒板が壁に掛けられ、背の低い台には大きな寸胴鍋と積み上がったパンケースがどっしりと居を据える。博士の『できるだけ裏方を置きたくない』という想いに応え、この地方の学院ではお馴染みの『キュウショク』というシステムを模した魅せるための食品スペースであった。

「すまない、十三番の料理を受け取りたいんだが」
「はい、ちょっと待ってくださいね」



 水兵の言葉通り、台の向かい側に立つ白衣姿の少女は特に聞き返すことなくスープをよそいメニューを整えていく。彼女の出で立ちもまた、学生時代の淡い恋心を思い起こさせるべく調整されているのだという。そんな年端もいかない『ハイグレキュウショクガカリ』の色香に誘われ、今日も彼女の下半身へ視線を走らせる一部の常連客に辟易しながら待っていると……。


  ♪〜 ♪〜 ♪〜


「ッ!?」

 唐突に店内へ流れ始めた軽快なメロディーに耳を打たれ、クロエの体がピクッと反応する。

「すまないっ、配膳は誰か別の者に頼んでくれ!」
「えぇっ、ちょっ――」

 直後、キュウショクガカリへ一方的に告げると狼狽える彼女を残しクロエは一目散に駆け出した。この音楽が意味する所はつまり、バトルアーティストによるショーの幕開け。その事実は既に客の多くに知れ渡っている事であり、壇上に相手方の役者が現れると彼らのテンションも否応なく上がっていく。

「よーし、てめぇら! 今日は『ハイグレ薬師』を誘拐してきてやったぜっ!」

  『うおぉー! 今日も頼むぞ、ハイグレ山賊っ!!』

    『いつもの敗者をいたぶる〈まんぐり返し〉からの〈食い込み敗北宣言〉要求、期待してるよ〜』

  『引き締まった体から繰り出される〈ピチピ散沙雨〉は天下一品。今日こそ見せてやれ、ハイグレ騎士っ!!』

 店中に飛び交う声援の嵐を必死に掻い潜って、どの席からも眺められるよう中央部に配された舞台の下まで辿り着くとクロエはふぅっと一つ深呼吸した。店に立つようになってまだ十日前後とはいえ、恐るべきハイグレの浸透率が今は手に取るように感じられる。最初は訝しんだ『ハイグレを大陸中に根付かせる』という博士の理想もこの店と共に傾くことなく、流行りのフェロモンブームすら追い落とし兼ねない勢いの中にあってはクロエの未来も既に決しつつあったが――、

「まだだ……。たとえ自由を奪われハイグレに体を毒されてしまおうとも、心に騎士の誇りがある限り、私は――!」

 発した一言一言に渾身の力を籠め、挫けそうな心を奮い立たせ顔を上げる。こうして明日への希望を胸に、クロエは未だ白星のない恥辱の舞台へと果敢に飛び上がっていった……。


  「不埒な誘拐犯めっ! その腐った根性を私、ハイグレ騎士が叩き直してやる! ハイグレッ! ハイグレッ!」
牙蓮
2017年05月27日(土) 17時08分26秒 公開
■この作品の著作権は牙蓮さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
一応お題が定められていますし、小説側でも【白衣】【誘拐】【職業】をメインに据えて書かせて頂きました。
ハイレグ水着を着ているのに縛って連れ去らなければならないハイグレ人間って、何だろう? そんな素朴な疑問を足掛かりに練り上げた作品でしたが、気付けばまた前企画と若干被る水商売系になってしまいましたね……。
とはいえこれも、素敵なハイグレ絵があってこそ膨らんだ妄想です。
宣言通り使わせて頂いたファウストさん、そして汎用性高く組み込ませて頂いた参式さん、お二方共ありがとうございました!
普段と違う執筆スタイルは中々刺激になりましたし、楽しい合同企画でした。

さて、ここからは私事になりますが一つだけ愚痴らせてください。
今作を執筆している最中に、ファイルエラーが起こり八割方完成していたデータが消し飛ぶという悲劇に見舞われました。
幸いにも誘拐の前後でキリのいい作品でしたから小休止も兼ねてバックアップ取っていたからよかったものの、後半の大部分を書き直す羽目に……。
あの日以来怖くなって、メモ帳ファイルを日々新設し足跡のようにバックアップする次第です。(まぁ、いつまで続けるか分かりませんが)
企画中でタイミングもよいかと思いご報告させて頂きました、皆さんもどうぞ消失にはご注意ください。

この作品の感想をお寄せください。
執筆お疲れ様です!
テイルズとネタ絵の混合なんて大変だろうと思っていたらこんなしっくりくる形に書き上げる牙蓮さん凄すぎます。
牙蓮さんは二次創作の希望の光だったんですね(泣)
クロエのピチピ散沙雨はどんな技なのか非常に気になります〜
満足 ■2017-06-09 21:17:51 om126186193153.7.openmobile.ne.jp
読み始めたらまさかのテイルズ系だったのでどう組み込むんだと思ったら
あー確かにテイルズの世界観ならそういう組み込み方になるなという感じでした

データ紛失にも負けずに作成お疲れ様です
参式 ■2017-06-04 01:33:13 kd106154055029.au-net.ne.jp
ハイグレ職業パブ行ってみたい
誘拐された花屋ちゃんの絶望→希望→絶望と一度助かるかもと思っただけに
クロエさんがやられた時の絶望が最初より深いものになりそうですね
akariku ■2017-06-02 00:34:32 p227001-ipngn200303takamatu.kagawa.ocn.ne.jp
あれ?海産物がない…( ゚д゚) … (つд⊂)ゴシゴシ (;゚д゚) …
見落としちゃったかなー?あれー?

テイルズで始まって 主人公が性商品にされて 最後は完堕ちという 相変わらずの牙さん節 もう安心して読めます
そしてテイルズ縛りの中よくぞ二つもの絵をお題に書きましたね!データ紛失の件も合わせてお疲れ様です!
ROMの人 ■2017-06-01 08:03:48 softbank126122114204.bbtec.net
作品投稿お疲れ様でした〜(`・ω・´)
テイルズとハイグレ水商売を書かせたら牙蓮さんの右に出る者はいませんね!
完全に洗脳されてノリノリで働かせるよりも抵抗心を残したまま馬車馬のように労働させるのだと同じハイグレ人間でも無様さの味わいが変わって来ますね
テーマも「白衣」「誘拐」「職業」をしっかり取り入れられるとは流石です。絵師さんの作品をさらに引き立たせてますね。これぞコラボの真髄…

データのバックアップは創作系の作業には永遠のテーマですね…思っていた以上に多くのデータを失われていたようで、再開ポイントからここまでクオリティが高い作品に再び仕上げて来られたガッツと底力…尊敬します(*´Д`*)
小まめなバックアップ…面倒でも重要ですね
自分を戒めたところで今回は失礼致します!それではまた(`・ω・´)ノシ
ぬ。 ■2017-06-01 00:18:22 219.100.138.83
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