【第四回】 新興宗教ハイグレ教 南雲薫子編 【25周年記念間に合わせ予告版】




 警視庁公安部特事課所属・岡嶋則子警部補と組むよう、言外には不本意ながら彼女の下に付くよう辞令が下りてはや十日目になるが、未だにこいつの掴みどころが今ひとつわからない。このヤマに痛くご執心なのは一挙手一投足の端々、例えばこの突飛な捜査手法を「用いてでも」という姿勢からも容易に見て取れるが、それよりも気になるのはこいつの眼、いったいいつ瞬きしてんだっつー死んだ魚類みてーな温度の感じられない薄暗い青い眼が私を捉える時、好奇の対象が奈辺にあるのか窺い知ることができない。今もこうして「新宿東口駅前広場を張っている私」を「岡嶋則子が張っている」、そんな感覚が拭い去れない。そんな彼女を目の端に捉えたまま物理的にも心理的にも距離を取っていると、岡嶋則子の方からずいずい寄っかかってきて馴れ馴れしく口を開いてくる。

「ねえねえ芳子ちゃん! 芳子ちゃんてさぁ、中学の頃の修学旅行、東京だったんだよね? いいなぁ羨ましいなぁ私の中学ってば行き先石川県だったんだぁすんごい退屈なの。東京だったらさぁ、他校の生徒と仲良くなっちゃったりとかあったの? 私そーいうの憧れだったんだぁ東京の中学通ってる子と修学旅行の間だけ友達になって地元紹介してもらったり一緒に遊んだり、お別れの日なんて泣いちゃうの、地元帰っても友達だからね! 連絡してね! みたいな。ねえねえ芳子ちゃんってば、ぼーっとしてないで詳しく教えてよーねえってばぁー」

そら来た。唇真一文字で無表情のくせして「キャラクター作り」は維持してるせいで猫なで声が薄気味悪いったらありゃしない。そんな声色で婉曲的なのか直接的なのかよくわかんねー詰め寄り方してきやがって、この女、日毎に遠慮ってものが無くなってきやがる。
 いよいよ「そんな感覚が拭い去れない」なんて悠長なことも言ってられなくなってきた。本件の性質上、ウチら所轄への尋問じみた詰問のひとつやふたつくらいはある程度覚悟していたが、こうも毎日チクチクほじくられているんじゃ、お前を容疑者扱いしていますよと公言されているようなものだ。

「……何が言いたいんスか、岡嶋サン?」

私も彼女と同様「キャラクター作り」のために持たされている、完全に私の趣味と反する無意味にキラキラした石がびっしりくっついてやたらデコデコしたスマホに視線を落とし、時々ルミネエストの大型デジタルサイネージの方向を見やる作業に徹して岡嶋則子から距離を取っていたが、我慢するのも飽きてきたのでしゃがんだ体勢からヤンキーよろしく鋭く彼女を睨みつけてみる。紺色のダッフルコートの前を開き、そこから覗くクリーム色のカーディガンを少し崩して着こなして赤黒チェックのミニスカートと合わせた姿の岡嶋則子は、ローファーのかかとを潰して履いていてかなり「凝っている」。しかしながら、と顔が赤くなるのを感じる。こいつとおんなじ格好、私もしてるんだよな……。
 私が勝手に恥入っているのを尻目に、岡嶋則子が先刻と寸分たがわぬ死んだ魚みてーな青い視線をぷいと私から外して口を開いた。

「本名で呼ばないでください南雲さん貴女やる気あるんですかそれとも馬鹿ですか? この場じゃ私と貴女はオトモダチ同士なんですよ分かってるんですか? 貴女それでも刑事なんですか? 刑事なら刑事らしく振舞ってくださいそもそも所轄なら変装だの張り込みだのなんて日常茶飯事ですよね? 普段から貴女そんなふうに仕事してるんですか? 給料泥棒ですか? 給料泥棒ですね? やる気なくて馬鹿で給料泥棒とか救いようがないですね? やる気ないんなら制服着て派出所に詰めてた方がいいんじゃないですか? 私から直に上へ降格人事具申してあげましょうか?」

「…………」

また出た。一言えば十どころか五十八くらいに返してきやがる。とっさにその「エスカレーター式キャリア組特有のストレスとは無縁でございってな具合のつるつるすべすべもちもち横顔」めがけて重いのを一発放り込みたくなる衝動に駆られるが、思い直して「すいませんっした」と大幅に譲歩して恭しく陳謝する。

「…………」

「…………」

 ……で、沈黙。小言は言うだけ言うくせに、こっちがリアクションを返さない限りは特に追求してこない。単なる気まぐれなのか、本当に訊きたい質問は秘めておいて、今は私の出方を伺っているだけなのか。しかし、たとえ他愛のない雑談であってもこちらから話しかければまた先刻のような無表情罵詈雑言虎の尾を踏みかねないので、「時間」が来るまで駅前広場に視線を戻すことにする。
 土曜日の午後三時前、隣接した駅改札口は時折ごちゃっとひと塊りの人混みを広場めがけて吐き出して広場の賑わいをかき混ぜていく。逃亡中の朝比奈の姿をそこに見出すような都合の良い僥倖を期待なんかしてはいないものの、なんとなく彼女に似た人相、長い栗毛、長身な背丈のわりに幼い顔立ちの女性に視線が吸い寄せられる。やがてその注視は「本来の」張り込み対象、めいめい着丈の不均一なベージュのトレンチコートを羽織った女性たちの姿へと点々と、数えながら目で追ううちに線になってやがて面になる。いちにいさんしいごおろくしちはちきゅうじゅうじゅういちじゅうにじゅうさんじゅうしじゅうごじゅうろくじゅうしちじゅうはち……。

「なに目で追ってるんですか馬鹿ですかそういう挙動が『向こう』に気取られでもしたら一巻の終わりなんですよ貴女本物の馬鹿ですかお願いですから馬鹿はおとなしくしていてください何も考えずに黙って馬鹿面晒してぼーっとしていてください貴女そういうの得意でしょ馬鹿なんだから」

「あーあーあーどうもすいませんっした! つーかよぉ……」

いくらなんでも心配しすぎだろうが見てるだけなら別に不自然でもなんでもねーしっつーかそういう言い草ならあんたのその世界一偉そうなボソボソ声もどっかの誰かに気取られでもしてるんじゃねえの? と口から出掛かった喧嘩購入引換券を大急ぎで払い戻しキャンセルする。我ながらよく自省した。ご褒美に今夜はヒューガルテンを3リットルがぶ飲みしていいぞ南雲薫子! よーしよしよしと脳内で自分の頭を自分で撫でていると、駅の方角から巨大な電子音が鳴り響く。とっさに広場中の人間、私と岡嶋則子を含む約数十名の「特定の女性」以外のすべての人間が鎌首をもたげて音の鳴る方向、大型デジタルサイネージの方へ向き直った。

『あなたの心に食い込む❤ H・F・Sが、午後三時ちょうどをお伝えします❤』

 画面いっぱいにアップで映し出された、ほっぺたに付いた星マークが印象的な、頭に白い羽根飾りを付けたやたらゴージャスな女性が笑顔で「ぴっぴっぴ……」と、甲高い声色で電子音を真似ている。その秒読みを合図とするかのように、先刻私が目で追いカウントしていたトレンチコート姿の女性たちが、初冬の外景に似つかわしくない露出させた生足を前後に動かして、気ぜわしく広場の中央めざしてカツカツコツコツ歩いていく。勘の良い、特に男性がその割合の過半を占める取り巻き連中が急いでスマホのカメラを起動させ終えた頃には、広場中央を陣取った彼女たちは等間隔を保ちつつ整列を完了していた。ああ、いよいよ始まるのか……岡嶋則子にも聞こえるように大きくため息をついてみせ、陳情の意を表明してみるが反応は無く、今から始まる何かに期待するかのように顔を上気させている彼女らを食い入るように見つめる岡嶋則子は、好対照を成すかのように鉄面皮をキープしている。表情筋死んでんのかこいつ? 造りモンくせえ美貌だけに美容整形とか、ボツリヌス菌の顔面注射とかが原因で。

「ぴーーーーっ!!」

と、秒読み完了を告げる最後の口真似電子音と共に、やたらゴージャスな女性の顔面めがけてドアップで迫っていたカメラアングルがサッと後ろに引いていき、デジタルサイネージは真っ白な撮影風景全体を示し始める。それと連動するように、広場中央を陣取った女性たちが、あろうことか、着ているトレンチコートの合わせた前を、特殊な訓練を受けた兵士がするような機敏な所作でガバッと左右に一気に開く。「おお〜〜〜〜」と観衆が囃し立てるのもどこ吹く風の涼しげな表情で、彼女たちは色とりどりの、腰まで切れ上がった、私の大嫌いな例のあのスケベな衣装を衆目に晒す。

「「「ハイグレッ!!! ハイグレッ!!! ハイグレッ!!! ハイグレッ!!! ハイグレッ!!! ハイグレッ!!!! ハイグレッ!!!」」」

「……始まった……」

腰骨の辺りにまで拡がった切れ込み食い込みを誇示するかのような腕の振り上げ、どうせ普段はカマトトぶって内股でヨチヨチ歩いているくせにこの時ばかりはとガバッと膝を直角に折り曲げて見せつけるガニ股、いい歳こいた大人の女性が発して良いとは思えない子供じみた下らない四文字の言葉を機械のように発し続ける口元。そして何よりも、そんな一連の所作を、「これが私の生きる意味よ!」てな具合に使命感に燃えたキリッとした表情でやってのけるこの女たち……巷ではそのブームも下火になりつつあるって話だが、なにに取り憑かれたのかこいつら所謂「ハイグレ女子」たちは未だにこの「ハイグレ」ってやつの布教活動に乾坤一擲でございってなもんだ。デジタルサイネージの方でも、やたらゴージャスな女性が同じように白いエロ衣装を身に纏ってポーズを取っていて、これまた四人のハイグレ女たちが取り囲むようにして同じように「ハイグレッ! ハイグレッ!」と口にしている。……恥ずかしくねーのかよこいつら、と出来る事ならこうやって達観し続けていたかったが、岡嶋則子がそれを許すはずもない。すっくと立ち上がって、膝を持ちあげながらローファーの潰れた踵を履き直して口を開いた。

「行きますよ南雲さん打ち合わせ通りにお願いします」

「…………うっす」

私の了承の意を聞いてか聞かずか、いやどうせ聞いちゃいないだろうがってな具合の早足で、岡嶋則子、否、「小鳥遊愛紗」が広場中央へすたすた歩み寄っていく。その後ろを、南雲薫子、否、「山田芳子」が追随する。やっぱりこの偽名、なんか格差激しくないか? 私の方の偽名適当過ぎじゃねーか? と遅まきながら湧き上がる疑問を振り払いながら、恥ずかしい格好でハイグレハイグレ言ってる連中めがけてずんずん近づいていく。途中、先を行く岡嶋則子が、ハイグレ女たちを取り囲んでガードしている制服警官に止められる。が、岡嶋則子がなにやら耳元でボソボソ呟くと、当初予定していたとおり制服警官がわざとらしく逡巡するような演技の後、私たちふたりを囲みの内側へ通してくれた。お勤めご苦労様、と労いたくなるがグッとこらえて脇を通り過ぎる。うう……とうとうやんなきゃなんないのか……!
 岡嶋則子が、先頭でハイグレしているやたらに美人な女、名前は忘れたけどハイグレのために事務所まで変えたハイグレ普及の第一人者を自称して憚らない女優兼元グラビアアイドル、のド真ん前で仁王立ちするほどに接近しているにも関わらず、ハイグレ女子たちは眉ひとつ動かすことなくハイグレを繰り返し続けている。彼女たちにしてみれば私たちがやってくるのは想定外の出来事のはずだが、なるほど「特殊な訓練」を受けている人間の精神構造は一般人などとはモノが違う。この表情をいっさい崩さない頑なな姿勢、方向性こそ違うもののまるで岡嶋則子のようだな、と思って見比べてみようと彼女の方を見てみる。

「素敵…………❤」

 うげえ、気持ち悪ッ! と思わず口を滑らしてしまいそうになる。両手を拝むように組んで口元に当て、頬をぽーっと赤らめながら目を細めてハイグレ女どもにうっとり見入っている岡嶋則子、否「小鳥遊愛紗」。たしかにまあそういう芝居が必要な場面ではあるが、こうも普段の鉄面皮との落差を見せられちゃ困惑せざるを得ない。

「ほらほら! 『芳子』ちゃんも早く早く! 一緒に『準備』しよっ!!」

背中に強い衝撃を二度ほど感じる。横に並んで満面の笑みを浮かべている岡嶋則子がハイグレ女たちから見えないように、モタモタしている私を後ろから小突いたのだと分かると、つえーよそんなに叩かなくてもわかるっつーのこの女はいちいちよお、と言いたくなる私を置き去りにするように、岡嶋則子が着ている紺のダッフルコートの前を開いてするりと床へ落とし、クリーム色のカーディガンを両手でガバッと脱ぎ捨てる。妙に色っぽくて絵になってなんかムカつくなオイ。

「おおおおおおお」と、サプライズ演出の一種なのかと周りのオッサンどもが岡嶋則子に向かって歓喜の雄叫びを上げる。そりゃ喜ぶわな腐ってもこんな美女、いや今は美少女か……が野外露出おっぱじめるって日にゃスマホでパシャパシャやりたくもなるわな、とこの期に及んで傍観者ヅラしてなんとかごまかしたくなる気持ちを抑えて、私も清水の舞台から飛び降りる気持ちで岡嶋則子の真似をする。

「やりゃいいんだろやりゃあ……」

おりゃああああ! っと心の中で叫びながらダッフルコートを放り投げてカーディガンを脱ぎ捨て、中の白シャツのボタンを外すのも億劫なので左右に引きちぎって投げ捨てる。私がやると歓声はそんなに上がらないのが少々不満なところだが、知るかバーカ! と捨て鉢になってスカートの留め具もバチっと外して地面に落とす。
 「準備」の整った自分の姿を眺めおろす。野外の、それも土曜日の昼下がりの新宿東口駅前広場のど真ん中の衆人環視の真っ只中にあって、ローファーとソックスと、確実に私に似合っていないピンク色のハイレグレオタード姿。みるみるうちに顔が、体が、下腹部が縮みあがりそうになってるのに反比例して全身真っ赤に上気していく。

「ううう……」

捜査のため捜査のため捜査のため捜査のため捜査のため、と自分に言い聞かせてなんとか凌ごうとしつつ、隣を見ると、岡嶋則子もすでに私と同じピンクのハイレグレオタード姿になっていた。ほとんど裸みたいな格好になるとますますこいつの美しさが露わになった感があり、同性としての格差をまざまざと見せつけられる。なんつー大理石みてーな肌してんだこいつ、しかも全然恥ずかしがってねーし……と眺めまわしているうちに岡嶋則子と視線がかち合う。一瞬、演技をやめた無表情の暗い青い瞳で私を睨みつけ、何かを合図するようにあごでしゃくる。はいはいわかりましたよこーなったらもう毒を食らわば何とやらだ!

「すぅ…………」

と大きく息を吸って、岡嶋則子と一緒にくるりと反転し、ハイグレ女どもと同じ方角、衆人環視の方向へと向き直ると、意を決してガバッと膝を直角に折り曲げた。

「「ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!!」」

「「「ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!!」」」

 図らずもハイグレ女どもと動きがぴったりシンクロして、こいつらの一員に身を落としたような薄気味悪さを肌に感じつつも、ここ一週間ぶっ通しで岡嶋則子から指導を受けて無理やり練習させられたハイグレポーズは思いの外スムーズに身体のラインを走っていくのはここだけの話、少し心地良い。さすがに女性用エクササイズとして一世を風靡したことだけはあるな、と元来身体を動かすのは嫌いじゃないだけにほだされそうになるのを、いやいやこいつらに感情移入してどうする! と頭を振って否定する。前方では相変わらずスマホでパシャパシャやろうとするオッサンどもを制服警官たちが強い口調で制止している風景が広がっていて、その遥か向こうでは、デジタルサイネージの中のやたらゴージャスな女性とその取り巻きの白ハイグレ女たちが勢い良くハイグレを行なっている。あ、この映像の動きに合わせて私たちはハイグレしているのか、と今更ながら気づいた時、画面の中でカメラがぐいっとやたらゴージャスな女性の口元へズームアップしていく。

「は〜い、じゃあラストワンセット! せ〜のっ!」

「「「「「ハイグレッ!!! ハイグレッ!!! ハイグレェッ!!!!」」」」」

最後のハイグレに余韻を残すかのようにハイグレ女全員が真上を見上げる、という演出が毎回入るのだということを事前に岡嶋則子から聞いて確認しているが、後ろを振り返って確かめるわけにはいかないので私も同調して真上を見上げてみる。そのまま軽く息が上がるのを感じつつ、チラリと隣を盗み見てみると、眼をぎゅっと瞑って同じように真上を向く岡嶋則子の横顔が、ほんのり赤みがかってしっとりと汗に濡れていて、なんかエロい。

「みなさんも、ハ・イ・グ・レ・に・な・り・ま・しょ? じゃあね〜」

やたらゴージャスな女性がにこやかに手を振って、デジタルサイネージが真っ黒に消灯する。ああ、なんとか無事に終わったか……とため息をついて安堵しそうになるが、私たちにとってはこれからが始まりなのを忘れるな! と自己を鼓舞する。

「ちょっとあなたたち! どういうつもりなの、勝手に私たちのハイグレに横入りしてきて!」

おいでなすったなってな具合に後ろから怒声が飛んでくる。振り返ってみると、ハイグレ大好き変態女どもが目を三角にしている。

「ご、ごめんなさいっ! 私たち、その、えと……ど、どうしてもみなさんと一緒にハイグレがしたかったんですっ!」

アニメ声優かっつーくらいに媚びまくった声色を周囲に撒き散らしつつ、岡嶋則子が間髪入れずに心底申し訳なさそうな顔をしながらぺっこり頭を下げる。表情筋死んでるヤツの所業じゃねえよその百面相、と感心しつつも、ここは岡嶋則子に追従すべきと私もぺっこり頭を下げる。

「す、すいませんっした!」

「謝って済む問題じゃないわよ! 部外者の分際で私たちのハイグレを穢すなんて大罪……!」

「まあまあ、ちょっと待ちなさい」と、狂信者よろしく詰め寄ってくるハイグレ女を、手前の、先刻先頭を陣取っていたハイグレ女が、相変わらず名前は忘れたけどハイグレのために事務所まで変えたハイグレ普及の第一人者を自称して憚らない女優兼元グラビアアイドルが余裕たっぷりの態度で制止する。

「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!! 初めまして、食込院美文と申します。以後お見知り置きを」

ああ、そうそう! そんなアホ丸出しな恥ずかしい名前だったっけ! クイコミイン・ミフミ! たしか事務所移籍後に改名させられたんだっけか……よくそんなアホ丸出しな恥ずかしい芸名付けられて、アホ丸出しな青いハイレグレオタード着せられて、アホ丸出しなフラッシュモブの先導役やらされてこうも涼しい顔してられるなこの女……そしてそんなアホ女、食込院美文が優雅に豊かな黒髪をかきあげながらお付きよろしく後ろに控えているハイグレ女のひとりからベージュのトレンチコートを肩に掛けさせている様子を、例によって岡嶋則子がぽーっとした表情でうっとり見つめているのが気色悪い。

「も、もちろん存じ上げてます! あの、わっ私たち! 食込院様のハイグレに憧れていて、ぜひご一緒にハイグレがしたくって、こんな勝手を……」

「ほ、本当に、すいませんっした!」

もう一度ダメ押しに頭を下げると、後頭部にほっそりとした指の重みをわずかに感じる。うげえ、なに勝手に頭撫でてんだよコイツ気色悪ぃ。

「オーッホッホッホ! かわいらしい、前途有望なハイグレ女子だこと……どうかしら? こんなところで立ち話もなんですし、少しご一緒してくださらないかしら?」

かかった! とばかりに顔を上げてみると、食込院美文がキョロキョロと周囲を見回している。辺りはハイグレ女たちのサプライズイベントがとっくに終了したにも関わらず取り巻きが途絶えることなく、スマホでパシャパシャやろうとしているオッサンどもを制服警官たちが恫喝に近い勢いで止めに入っている。自治体含む関係各所に提出する書類さえキチンと整ってしまえば、こんな下らない活動にも国家権力たる私らが動員されてしまうっていうんじゃいよいよ世も末だな、とため息を吐き出しながら、その警官のうちのひとりへ軽く目配せする。

「ええっ!? いいんですかぁ!? やったぁ、芳子ちゃん聞いた!? 私、嬉しくってどうにかなっちゃいそう……!」

「お、おお、良かったな! わざわざハイグレの特訓した甲斐があったな!」

目をパチクリさせる岡嶋則子の調子に合わせる私の声色も思わず黄色くなってしまう。それも無理からぬこと、なにせこの一週間近く、「こいつら」とお近付きになるため私だけずーっとハイグレとかいうアホ丸出しの動作を完璧に行うための謎の特訓を強いられたんだから、それが結実し、こいつらハイグレバカの目を見事に欺いたとなればいくら馬鹿馬鹿しかろうが嬉しいものだ。
 そんな私たちの様子を、食込院美文が余裕たっぷりにひとしきり眺めたあと、右手人差指を悪戯っぽくちょいちょいと折り曲げてこちらへ向けた。

「じゃあ、車を待たせているから一緒に行きましょうか。おふたりのお召し物はこちらで回収させていただいたから、そのままいらっしゃい。あなたたちは先に本社へお帰りなさい」

「「「ハイグレッ!! ハイグレッ!! ハイグレッ!!!」」」

命令を受けて、後ろに控えていたハイグレ女たちが号令よろしくハイグレした後、めいめいが床に脱ぎ捨てていたトレントコートを乱暴に拾い上げて着ながらその場を後にしていく。途中、ナンパめいたオッサンどもの呼びかけには一切応じる様子もなく、蜘蛛の子を散らすようにとはまさにこのこと、一分もしないうちに新宿東口駅前広場からハイグレ女は、私と岡嶋則子と食込院美文を残すのみとなった。
 その様子を確かめるでもなく、依然その瞳は伺うように私たちへ移ろわせつつ食込院美文がカツカツと青いハイヒールの靴音を響かせながら新宿東口駅前広場を抜けて靖国通りへ出ようとするのを、岡嶋則子が躊躇することなく追随し、私もやや不安にかられながら足を踏み出した。



「そう、小鳥遊愛紗ちゃんに山田芳子ちゃんね。まだお若いのにハイグレに熱心だなんて、本当に感心だわ」

靖国通りを爆走する黒塗りの、しかもスモークの貼られた「いかにもな」リムジンの後部座席に、ピンク色のハイレグレオタード一丁姿のまま座らされた私たちを品定めするように食込院美文の視線が舐め回す。「若いのに」って、お前と私らの年なんて大して変わんねーだろ、とツッコミを入れたくなるが、しかし私の身体って本当に、岡嶋則子が太鼓判を押したように「女子高生と色んな意味で大差ない」のか? なんとなく複雑な気分……まあ食込院美文の目を欺くのに成功したんだからここは良しとするか。

「それで、ふたりはどこのH・F・Sに通っているのかしら?」

食込院美文の女流ピアニストみてーなほっそりとした指が、隣に座った岡嶋則子の陶器みてーなふとももをスリスリ撫でながら訊くのを、岡嶋則子が「や〜ん❤」と演技に徹して聞き流しているので私が代わりに答えることにする。

「いえ、私たちはスクールには通ってないんです。なんというか、ハイグレは独学で……」

「まあ、そうなの!? 我流であれだけのハイグレが出来るだなんて、すっごいわぁ……❤ そんなに素質に恵まれているのにハイグレフィットネスを始めないなんてもったいないわ!」

食込院美文が岡嶋則子越しに身を乗り出して私の両手を引っ掴んでくる。その目は真剣そのもので、これが宗教に取り憑かれた女の末路か……とゾッとくるものを感じながら、なんだよ我流のハイグレだのハイグレの素質だのって、という疑問と、なんでコイツこんな良い匂いさせてんだよ顔ちけーよ何食ってどんな香水振ったらこんな匂いさせられるんだよ、というふたつの疑問を振り払おうとする私を差し置いて、間に挟まれた岡嶋則子がわざとらしくシクシクとしゃくりあげ始めた。

「ふええ……食込院様に認めてもらっちゃたぁ、嬉しいよぉ……で、でもグスッ、だめなんですぅ、私たち、親が厳しくってぇ、スクールに通わせてもらえないんですぅ……自分たちで通おうにも、毎月の会費なんて高くって払えないしぃ……」

「あらあらぁ、なんてかわいそうな 愛紗ちゃん……そうだわ! あなたたちさえ良ければ、私から推薦して、ふたりをH・F・Sの督励会員にしてあげてもいいわよ! そうすれば金銭的な負担はゼロでハイグレに励むことができるの。どうかしら?」

パン! と両手を重ね合わせながら目を細めて提案する食込院美文の笑顔を、「かかったな、間抜けめ!」と罵りたい衝動に駆られつつも、両目にハートマークを浮かべながら食込院美文に抱きつく岡嶋則子に倣って私もピトッと彼女に寄り添ってみる。

「いいんですか!? なんて光栄な……あ、あ、ありがとうございますっ!!」

「うふふ、これくらいお安いご用……❤ でもね、申し訳ないのだけれど、奨励会員になるには少しばかり講習を修了する必要があるの、会の規約に則って、ね……まずはそれをふたりに受けてもらうことになるのだけれど、明日一日、お時間作ってくれるかしら?」

「もちろんです! 私たち、食込院様のためならなんだってやります!」

「よろしくお願いします!」

「じゃあ決まりね。あぁん、最近あなたたちのような前途有望なハイグレ女子に恵まれて、とっても嬉しいわ……これも日頃の行いかしらね?」

右頬に手を当ててウキウキとこぼす食込院美文の何気ない言葉に、思わず岡嶋則子と顔を見合わせる。瞬間、いつもの無表情に戻る岡嶋則子だったが、瞬きする間に哀れっぽく目尻を下げて瞳を潤ませ始めた。

「最近って……じゃあ美文様に認めていただけた人間が私たち以外にも何人もいるってことですかぁ? 、ちょっと悔しいかもぉ〜」

「そんなに悲しむことはないわ、二十歳未満に限って言えばあなたたちくらいですもの。女子高生となると、半年くらい前にひとりいたくらいかしら……うふふ、だから存分に光栄に感じてくれていいのよ?」

「…………」

「…………」



 その後「お家まで送るわよ」という親切な申し出を謝辞されたにも関わらず、食込院美文は意外にもあっさりと、岡嶋則子が願い出た通り、私たち二人を曙橋駅の高架下ですんなりと降ろしてくれた。食込院美文からもっと執拗に身元に探りを入れられるものだとばかり、あるいは岡嶋則子がもっと執拗に「半年くらい前にいたもうひとりの女子高生」について探りを入れるものだとばかり勘ぐって身構えていたせいか、明日またリムジンで拾ってもらう約束を取り付けただけで終了した「標的」とのあっけない接触に物足りなさを覚える。リムジン内に充満していた甘ったるい匂いが口腔内にまだまとわりついているかのような気持ちの悪さを感じて唾をペッと舗道へ吐き捨て、一仕事を終えた以上、このおっかねー女とご同席する理由がなくなったのでとっとと退散することにする。「それじゃあ岡嶋サン」と口に出そうとした矢先、岡嶋則子、否、小鳥遊愛紗が気安く抱きついてきた。

「芳子ちゃ〜ん!」

そのまま言葉を遮るようにして「んー❤」と小動物のような鳴き声を発しながら私の全身をくまなくごそごそ触り始めた。うわなんだこいつ気ッ色悪いくすぐったい離れろてめーこの野郎、と悪態をつきそうになるのをグッとこらえる。

「盗聴器発信器の類は付いてませんね、貴女の服。……南雲さん貴女ギネス級のアホですか敵方が用意を怠ってくれていたから良かったもののあやうく全てがおじゃんになるところだったんですよいくらアホとはいえこの不注意は酷すぎますよ本当にもうちゃんとしてくださいああもうなんだか泣きたくなってきましたよ」

「……すいませんっした」

私に抱きついた拍子に乱れた衣服を正しながら「まあ構いません明日はいよいよ大詰めなんですから墓穴を掘らないようお願いしますよ」と言う岡嶋則子の表情はすでにいつもの鉄面皮に戻っていた。

「ところで南雲さん、貴女さっきの女と面識でもあったんですか? 彼女とは初対面なのにも関わらず彼女、なんだか私にばかり関心を寄せていたように感じられたのですが」

「そんなの、あるわけないっスよ」

あんたの方が私より美人だから食込院美文も私なんて眼中に無かっただけなんじゃねーの、と何とも言えない腹立たしさのせいでいきおい、「あってたまるか」と口走ってしまい、刹那、しまったという思いが頭をよぎる。

「…………そうですか」

三白眼で私の表情を品定めする岡嶋則子の視線が痛い。が、例によってそれ以上は追求する様子もなく、ぱあっと「小鳥遊愛紗」の能面笑顔を貼り付けて右腕をブンブン振りだした。

「じゃ〜ね〜芳子ちゃん! 明日はゼッタイ遅刻しちゃダメなんだからねっ!」

「う、うん! 頑張ろうね、愛紗ちゃん!」

岡嶋則子に倣ってきゃるん! と恥を忍んで演技してみると、「小鳥遊愛紗」は何も言わず振り返り、そのままスタスタと曙橋駅改札口へと歩み去っていった。……寒々しさを肌に、腹立たしさを五臓六腑に沁みわたらせながら、しかし「山田芳子」は「小鳥遊愛紗」、否、岡嶋則子から解放された快感の余韻に浸りつつ、離れて待機させている飯田の運転する覆面に拾ってもらうべく、鞄からいっさいデコデコしていない黒塗りの仕事用のガラケーを取り出した。


0106
http://blog.livedoor.jp/haigure/
2018年07月24日(火) 06時13分30秒 公開
■この作品の著作権は0106さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 メッッッッッッッチャお久しぶりハイグレでございます……失踪の果てに、私の顔と名前をまだ覚えていただけているかたがいらっしゃいましたら僥倖の極み、0106でございます……!
 昨年5月より始まった第4回企画も私の度重なる遅延遅延遅延により、5月→6月には…→年内には…→1月には…→1年以内には…←この全てに間に合わなかったゴミクズの私ですが、映画「クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王」公開25周年記念までにはなんとか企画作品を完成!……させたかったのですがこれもまた間に合わず……しかし現状、ラストシーン以外は書き終えておりますので、数日中には改めて完成版を投稿し直したいと考えております!
 こんな色々と中途半端すぎるお粗末な登場の方法しか取ることが出来ませんでしたが、25周年、本当におめでとうございます! 完成作業頑張ります!

この作品の感想をお寄せください。
お待ちしておりました、お久しぶりです!
企画作を仕上げ私とぬ。さんが連作合戦を繰り広げていた後にまさか……、第二回企画作と同一シリーズの宗教ハイグレ作品がやって来るとは思いもしませんでした。
書類を提出して大型ビジョンの借り受けまで周到に計画して、フラッシュモブに打って出るとは何とも異様ですがありそうな展開だけに恐いですね。
わざわざ偽名まで準備した潜入捜査への下準備に、本庁と所轄の格差といった世界観を盛り上げる緻密さはさすがと舌を巻くばかりです。
はてさて、この後何か裏がありそうな執念をみせる岡嶋則子との潜入捜査はどうなっていくのか、そして元絵で拘束されている茶髪の少女はどう物語に絡んでくるのか……、完成を楽しみにしておりますね♪
牙蓮 ■2018-07-28 22:49:14 193.86.231.222.megaegg.ne.jp
あの荒唐無稽なイラストからよくぞここまでの作品を書き上げてくださいました
きちんとした世界観やキャラクターの性格の作り込みなど 時間をかけて作っていただいたのだなと感じ 申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです
正直Twitterを発見した時は「こいつイカのゲームばっかやって何も書いてねーじゃねーか」と憤っておりましたが(以下略 では完成を楽しみに草葉の陰で見守っております
ROMの人 ■2018-07-25 21:10:45 softbank060140086220.bbtec.net
ミイラ取りがミイラになる予感がたまらないぜ! Z ■2018-07-24 23:24:04 fp9f1ce786.tkyc110.ap.nuro.jp
お久しぶりです。まずは企画投稿お疲れ様でした!
どんだけ時間かかったんですかバカですかおかえりなさい
どっしりとしたまさに大御所のような文…ようやく真打登場ですね
宗教のために事務所を変えて芸名を変えられた子…いやあ斬新でどこかリアルな設定ですね(何
潜入捜査をしている捜査員に無様な思考を晒し続ける食込院ちゃん…でもそれを哀れんでいる2人はもっと無様にことになってしまうのかと思うと夜も眠れません…
25周年に合わせての投稿お疲れ様でした!続き楽しみ待ってます( ・`ω・´)
ぬ。 ■2018-07-24 06:37:38 fl1-122-134-250-225.tcg.mesh.ad.jp
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