新興宗教ハイグレ教 |
6月のある日、ふとサイト巡りをしているととあるサイトを見つけた。 特に興味があったワケではない。しかし、何となくそのサイトを開いてみた。 『新興宗教ハイグレ教』 そこにはそう書いてあった。 最初に思った通り、昔のアニメ映画についてのサイトであった・・・無論男性向けの。 そのサイトの掲示板を見ていると小説がいくつか書いてあった。 ハイグレ魔王が実在し、再び地球を襲う話や別の漫画などに登場させてみたり・・・。 その展開一つ一つに私は胸が高鳴っていくのを感じた。 展開そのものに対してか、それともかつて見た子供向けのアニメ作品がこうも扇情的であったからなのか・・・。 それはよく自分でも良く分からないが、とにかくこれ以上見ていては寝不足になってしまうので閉じてしまった。 ―――かちり、と歯車が回り始めた。 翌日の朝、妙な気分で目覚める。・・・前日にあんなサイトを見てから寝たせいだろうか。 「ん、ん〜っ」 大きく伸びをする。すっきりはしなかったが、私は手早く着替えてリビングに向かった。 テーブルには目玉焼きなどのいつもの朝食といったモノが並んでいた。 「いただきます」 きちんと手を合わせてからいただくようにしている。親が厳しいわけではなく、単なる習慣のようなものだ。 食べ終えて時計を見ると、時刻は七時半をさしている。 高校へは八時に出れば十分すぎる。身支度を整えながら八時を待つことにした。 ふと、ノートパソコンが目に入った。 何を見ようかとも、何をしようかとも考えることもなく無意識にパソコンの電源をつけようとして―――・・・ 「葉月ー?そろそろ行く時間じゃないー?」 ・・・―――お母さんの言葉で急激に現実に戻された。 「むぅ、ぼーっとしすぎなのかなぁ・・・」 傍から見れば異常ともいえる今の瞬間を少しも疑問に思うことなく家を出た。 ―――その子の影は二つ、一つはゆっくりと形をもっていく。 いつもの見慣れた通学路。 先ほどの呆けがまだ抜けないのか実は寝不足なのか、どこか上の空で歩いている葉月の姿。 そんな葉月を後ろから思いっきり叩く手があった。 「おっはよーっ!はっちゃん、今日は元気ないねぇ。どしたの?」 「おはようございます、遠藤清海さん?」 むむ、と急に晴海は不機嫌そうな顔になった。 「フルネームで呼ぶとか、何かくすぐったいよ。はっちゃん」 「いきなり手加減もなしに不意打ちしてくる人を友達にもった覚えはありません」 ひどいよ〜、とか何やら恨みがましい声が聞こえてきたが・・・まぁ、いいか。 “・・・してしまえばいいのに・・・” ビク、と体が一瞬痙攣してしまった。 それは自分の中から聞こえてきたようだった。とても低い・・・自分の声。 ノイズ雑じりの、だっていうのに間違いなく聞こえたその声。 私は、晴海、を・・・・・・。 「ん、呼んだ?」 すぐ耳元で聞こえる声。 「え?ううん、呼んでないよ」 暗い声を振り払うように軽く頭を振ると、再び歩き出す。 一応、生徒会長である私が遅れるのは・・・その、なんていうか色々と良くないしね。 ―――もう一つの影は道化の如き仮面を被る。 あっという間に過ぎていく授業・・・本当に今日はどうかしてるのかしら。 「・・・さて、生徒会室に行かないと」 いつもの日課であり、仕事である生徒会活動。 ・・・といっても、現在は主だった行事はなくテスト前なので誰もいなかった。 それでも、私はこの空間が好きなので仕事以外でもよくここに来てしまう。 晴海に言わせれば職権乱用らしいが、それなら立候補すればいいのだ。 ―――当然、晴海は無理とか即答してたけど。 「ん・・・、これ企画書じゃない。こんな雑多なトコに置いてたら失くすわよ」 目に付いたのは片付けもしないで散らばった隅の机に置かれた数枚の紙。 こんなのがしたいなぁ、などの一般生徒からの投書とソレを煮詰めた企画書であった。 その投書にはそれを書いた人の名前はなかった。 無論、恥ずかしいからとかの理由もあって、名前をちゃんと書いてくる人は滅多にいないけど。 【非日常な格好をして、みんなで文化祭とかどうでしょうか】 ただ一言、そこには書いてあった。 企画書にはできるだけ新しい、というか無理に奇をてらった内容があったが・・・。 “ほら、みんな望んでるのよ” ―――朝の、暗い、声。 前よりはっきり聞こえてきたその声は、自然と自分に馴染んでいった。 「そう・・・だから、皆・・・、皆・・・」 頭がぼーっとする、思考がまとまらない。 ふらふらと頼りない足取りで生徒会準備室の方へと向かっていく。 ふと、葉月の影が張り付いたように止まった。 けれど葉月は歩いている、影もきちんとついていっている。 それはまるで黒い人型の紙を薄く剥がしたようだ。 ―――そして、物語は繋がる。 もう日が傾いてきた頃、晴海は図書室を出たところであった。 生徒会室に明かりがついているのを見て、おそらくいるであろう葉月を迎えに行こうとしていた。 (葉月がおかしいのはいつものことだけど、ずっと上の空だったしなぁ・・・) 「まさか、恋♪とかじゃないよねぇ。だとしたら相談くらいしてくれてもいいのに」 心からどうでもいい推測をしていると生徒会室の前についた。 こっそり覗くと葉月がこちらに背を向けて立っている。・・・やはり上の空に見えた。 活をいれてやろうかとちょっとした悪戯心が芽生え、勢い良くドアを開け放った。 「はっちゃーんっ!一緒に帰るよーっ!」 ・・・そして思い切り叫んでみた。 くるん、と表現すれば適当なんだろうか。 ひどく道化じみた動きで葉月は振り返った。 「あら・・・晴海じゃない・・・」 「う、うん。一緒に帰ろうかと思って・・・」 すっかり勢いを殺されてしまった上に、どちらかといえば畏怖さえ覚えるその笑顔。 何となく晴海が一歩引けば、葉月は音も無く距離をゆったりと詰めてきた。 「そう、優しいのね。晴海は」 じゃあ、と葉月が今まで見たことのない妖艶な笑みを浮かべた。 「・・・私が、こういう趣味があっても・・・一緒にいてくれる?」 制服を雑にはだけると、その下には・・・――― 「水着・・・?水泳の授業なんてあった・・・?」 「この学校にはプールなんてないわ、晴海。これはね、ハイレグっていうの」 「ハイレグ・・・」 「そうよ、親友の貴女なら・・・一緒に着てくれるわよね」 歌うように、自己陶酔したように紅潮した顔つきで言うと玩具の銃のようなモノを取り出した。 やめて、とか細い反論と被るようにその銃から光が奔った。 その光が止むと、そこには赤いハイレグを纏った晴海の姿があった。 そして、その場から葉月の姿は忽然と消え去っていた・・・。 葉月が起き上がると、もうとっくに日が落ちていた。 いつもならこういうときは晴海が迎えに来て、起こしてくれるものだけど・・・。 「・・・ん・・・」 生徒会室のほうへ戻ると、さっさと帰宅準備をして家に帰ることにした。 意味もなく遅くなってしまったので怒られてしまうだろうか。 家に帰ってもまるで咎められる事もないどころか、むしろかなり上機嫌だった。 ・・・何かいいことでもあったのだろうか。 とにかく、今日は早く寝てしまおう。今日の不調は寝不足のせいに違いない。 そう思って、明日の用意もそこそこにさっさとベッドに潜り込む。 やはり疲れていたのだろう、するすると深い眠りへと落ちていった・・・。 ―――夢を見ている。 時々、これは夢なんだって自覚できるときがある・・・誰にも自慢することでもないけど。 その夢の中では、二人の‘私’がいた。 一人はとても眠そう、きっと・・・もう一人の‘私’が活動しているから? もう一人は好き勝手に行動していて、なぜだか水着を着ている私のお母さんと晴海を引き連れている。 時折、無邪気な笑顔で眠そうな‘私’を見つめている。 その楽しそうな‘私’は晴海たちに何かを言っていた。 すると、晴美たちは嬉しそうにその格好のままコマネチ・・・っていうんだったかな。 ・・・とにかく、昔の芸人の芸をしだした。 その格好はとても滑稽で卑猥で、いつかのアニメを思い出させた。 嫌悪してもおかしくないその異常性を私と‘私’は食い入るように見つめていた。 昔のアニメのようにひたすらコマネチのポーズを取り続ける二人がいる。 「ほら?ズルなんかしちゃダメって言ってるのに」 咎めるような言葉ながらも優しい口調で二人に話しかける‘私’は二人の食い込みを直した。 直した、というか変えたというべきなんだろうか? アニメの変身ヒロインの服が変わるかのように目の前で自然に食い込みが深いハイレグへと変化させた。 くすくすと笑う‘私’は何だか怖い、けれど何故か心が惹かれていく気がする。 恥ずかしいのか恍惚なのか顔が紅潮していく二人の姿は私の方が異常なんじゃないかと錯覚させてくる。 私が私でない感覚。 眩暈を起こしてふらついた体。 夢の中で階段を踏み外した時のような感覚。 ―――気づけば、目の前に二人がいて‘私’は私だけになっていた。 「は・・・づき様ぁ・・・」 友達と何よりお母さんの口からそんな言葉を聞いた瞬間に混沌としていた心はクリアになった。 クリアになっただけじゃなく、その有りようも大きく変わっていた。 “これが異常ではなく異常こそが正常なのだ”と―――。 この目の前の二人を支配するのが私のすべきこと、そしていずれは全てを支配したいと思う欲望。 「・・・とりあえず・・・そうね、晴海。貴女、椅子になりなさい?」 はい、と頷く晴海の表情は構ってもらえた子犬のように愛らしく感じた。 そっと座った晴海の感触は・・・悪くない、心地良いとさえ思う。 露出した肌から体温が伝わってくるのは確かに友達と呼んだ人間に座っているのだと実感させる。 「ふふ・・・。ねぇ、お母さん・・・ううん、真澄」 実の母を呼び捨てにする悦び、娘に見下げられている母の背徳感。 真澄は女王様に従う奴隷のように色のない目で私の言葉の続きを待っていた。 「この世全てが私の思い通りになるなんて素敵だと思わない?だから・・・」 だから、理想の世界を作るために貴方達は働いてくれるわよね、と真澄の額に口付けをした。 跳ね起きるようにして私は目覚めた。 まだ日が昇っていない、時計を見てみると三時を過ぎた頃だった。 「やだ・・・なんで、あんな、夢、を」 思い返される痴態というよりは既に狂態、それも奇妙なまでに生々しく。 夢というものは記憶力がどうあれ、あっという間に忘却へと埋もれてしまうのが常である。 けれど、回想する度によりリアルにより身近へとなっていく。 体が、熱い・・・。 何か冷たいモノを求めて冷蔵庫へと向かった。 気付くと冷やしてあった麦茶を全て飲み干していた・・・けれど、足りない。 涼しくなる方法、涼しい服装、あるべき姿・・・。 その時、パタンとドアが静かに閉まった音がした。 その音で夢から覚めたように急に思考が冴えてくる。 なんとなく慌てて部屋に戻ろうとした瞬間に嫌なことに気付いてしまった。 (さっきの音、玄関の方からしなかった・・・?) ドクン、と自分の心臓の鼓動が大きくなってくる。 お父さん・・・は違う。今はデザイナーの仕事で帰ってくるのは早くても来週のはず。 そもそも、仮に帰ってきてたとしてすぐに家を発つ理由が無い。 廊下を歩く音が全くしないから今のは間違いなく外へ誰かが出た音だろう。 そっと忍び足でお母さんの部屋を覗くと・・・ちゃんといる。 ということは知らない誰かが・・・? そう考えると怖くなって自分の部屋で布団を被って寝てしまった。 けれど、そういう寝たい時に限って目が冴えてきてしまって眠れなくなる。 時計が時間を刻む音しかしない自分の部屋、夜明けまでまだ一時間以上はある。 その不安に耐えられなくなって電気をつけずにパソコンのスイッチを入れる。 電気を付けて、知らない誰かに自分が起きていることを知られるのが今は怖かったからだ。 いつもは気にしない起動音が大きく感じられ、起動自体も遅く感じてしまう。 それでも、何かをしていないと不安で仕方がなかった。 ちゃんと起動したのを確認するとネットの世界へと自分を集中させていった。 とりあえずお気に入りに区分してあるサイトを順々に見ていく。 とは言っても、大抵が猫とかの育成日記とかそういうのなのですぐに見終わってしまう。 そして最後に登録されているのは・・・。 「これ、登録なんかしたっけ・・・?」 お気に入りの一番下に入っていたのは『新興宗教ハイグレ教』のサイトであった。 別段、他に優先して見るべきサイトもなかったのもあって再びそのサイトを開いた。 掲示板を見ると新たな小説が投稿されていた。 今の気分で見ても、それはただの暇つぶし程度のものに過ぎなかったのだが・・・。 直感のようなものだろうか?なんとなく気になり、それを読むことにした。 読まなきゃ良かった。 一通り読み終えてから気付いても遅かった。 不安を大きくさせてしまった内容を大雑把に言えば・・・。 ハヅキという主人公がハルミとマスミという人物をハイグレ人間に変える話であった。 話自体は別に良かった、このサイトの趣旨通りなんだろう。 「名前・・・偶然・・・?」 ぽつりと呟いたのは自分とその身近な人と同じ名前であった事実。 そして、その内容に重なるのは先ほどの淫靡な悪夢。 頭に霧がかかったように上手く思考が進まない、それでも考えようとした。 きっと自分でも認識できなかったけど、それはとても時間を潰す結果となったらしい。 ――・・・ようやく、朝を迎えた。 夢のせいでお母さんと一緒に過ごす時間が長くなるのが嫌で朝食を取ると学校へと向かう。 学校へと向かうには早すぎる時間で、学生服姿よりは通勤途中の人のが多い。 朝早い時間なのでそれなりの涼しさを感じながら登校している人がほとんどいない学校に到着した。 生徒会室で時間でも潰そうかと考えながら自分の教室に入ると既に数人の生徒が談笑していた。 その中に晴海の姿を見つけたので挨拶をする。 「今日はやけに早いのね」 「うーん、逸る気持ちを抑えられなかったっていうのかな」 相変わらず晴海の突拍子もない発言にはついていけない。 何が待ち遠しいのか明確にしてほしいな、なんて優等生的なことを考えつつ適当に相槌を打った。 「にしても、晴海って思ったより友人関係広かったのね」 晴海は帰宅部なワリに体育会系な子である。 なので、部活をしていないのにそういった人とのほうが仲良かったりするのである。 朝練が終わった人達だけではなく、たまたま早く来た人とも仲が良い姿が少し意外であった。 そういった意味では私も文化系よりの方なのだけれど、体力測定で僅かに彼女を上回ったのがいけなかったらしい。 反復横飛びとか、そういった基礎的な能力で総合的に負けたが悔しかったらしい。 その後、付きまとわれたのが後々友達になるきっかけであった。 「あたしの交友関係を舐めちゃいけないよ。特にこれからはね・・・」 最後のほうがよく聞き取れなかったけど、いつもの冗談とかだろう。 さておき、話をしているといつの間にやらホームルームの時間になっていた。 いつもどおりの光景につい数時間前までの不安は見る影もないほど吹き飛んでくれた。 日々変わらない生活を過ごすのは退屈ながらも幸せなのだろう。 ――それは本当に? 壊れたテレビが写す砂嵐のような光景が一瞬見えた気がする。 一瞬の白昼夢のような状態から戻り、辺りを見回すと体育館の前だった。 どうしてこんなところに?ここまで来た覚えはない。 「――・・・イグ・・・ハイ・・・レッ・・・!」 ホームルームを終えて、一時間目を待っていたとこまでは覚えている。 「・・・ハ・・・グレッ!・・・ハイグ・・・ッ!」 ああ、うるさい。少しくらい静かに考え事をさせてくれないのか。 さっきから何なのだろう、体育の時間の新しい掛け声だろうか。少々違和感はあるけど。 そういえば、体育館は夏場は暑くなるから窓を開け放っていたような気がする。 「暑くないのかしらね」 ふと妙な親切心なのか何なのか、そんなことを思う。 何より、先ほどの掛け声が少しずつはっきり聞こえていくにつれて胸騒ぎがする。 けど、何故だか今はここを調べたらいけないような気もしてくる。 どうしたらいいか迷って、私はそこで立ち竦んでしまった。 ズズズ・・・なんて、大仰な音を立てて少々重い体育館の入り口を開ける。 というよりは、体が勝手に動いているような気もする。 「・・・ん・・・」 中からの熱気に少し顔を顰めた。 外気より暑そうで、熱中症とかの心配を本気でし始めた。 ――けど、心配はいらなかったみたい。 だって、そこには暑そうな人なんていなかったから―― くす、と自然に笑みがこぼれる。支配者ならば常に余裕を持たなければいけない。 何の支配者?と一瞬疑問が浮かんだが、すぐにその考えは散っていった。 目の前には可愛い下僕たちがいる、余計な考えなんていらない。 ハイグレ姿の女生徒と先生たちはこちらに気付くと私の一挙一動を見守った。 ゆっくりと私は壇上へと昇っていった。 ここにいる子たちは全校生徒と先生のうちの二割程度、八十人ほどかしら。 「・・・ふふ、もっと・・・もっとよ!」 両手を天に広げながら高らかに宣言する。 途端、体育館の熱気が更に高まったように感じられた。 「有馬センセ?」 一様にハイグレポーズを取っている人の中の唯一の先生を見かけると呼びかける。 せっかく先生という立場の人間がいるのだ。面白く利用しなければ私じゃない。 「そうね・・・体育の先生、ね・・・」 抱きつくくらいに近づいて、耳元に口を寄せるとそっと計画を呟いた。 しかし、やっぱり暑かったせいなのかクラクラして目の前が真っ暗になる。 再び顔を上げると目の前に先生の顔があった。 「大丈夫?具合悪いなら保健室行く?」 そこは自分の教室で、どうにも机に突っ伏していたらしい。 ちょっと体がダルくもあり、授業を受けてても仕方がなさそうなので大人しく保健室に行くことにした。 保健室はかなり快適な空間だった。 人がいない分、クーラーの効きが違う上に横になれるのもあるのだろう。 「そういえば残念だったわね」 保健の先生が暇そうに横になって休んでいる私を見て話しかけてくる。 何がですか、と聞こうとする前に二の句が続いた。 「今日は特別に合同体育を体育館でやるそうよ」 なんでも、私たちの学年の階の教室のクーラーがおかしくなったらしい。 それで教室ではまともに授業が行えないということで一律に体育をやることになったみたいだ。 「あと、知っているかしら?指定の体育着が変わったのよ」 初耳であったが、妙に疲れていていまいち会話をする気力がなくなっていた。 真っ当に辺りに気を配る余裕がなかったせいで先生の白衣の下に着ている衣装に気付くことはなかった。 体育館の壇上、黒いハイレグの水着姿に着替えた‘私’は愉しそうであった。 ゆっくりと着実に狂気は学校を包んでいき、今では二学年が既に侵されている。 ハイグレで体育の授業をしている光景を見て、妖艶な笑みを浮かべたまま私は見守っていた。 ほら、そこでは動きやすそうな格好でバスケをしているじゃない。 あそこでは準備運動をしている子たちが最後の締めでハイグレをしている。 「他の学年もこの愉悦を教えてあげなくちゃね・・・」 この子達に発披露したときの反応は想像以上に凄かった。 今まで、このような事態に会ったことが当たり前だがない為にパニックに陥るか唖然としていた。 体育着に着替えて体育館に来てみれば新しい服はハイグレだっていきなり聞かされたからね。 クス、とその時のみんなの表情を思い出せば歪んだ笑いになる。 でも最後はちゃんと分かってくれて着てくれるんですもの。 「素直が一番よね・・・」 「葉月・・・様・・・」 感慨に耽っているとおどおどと話しかけてくる声があった。 「・・・ん・・・どうしたの?伊月さん」 微笑んで言葉を返すと、安心したのかホッとした表情になる。 「あ、あのっ!一年生も三年生も・・・これ着せるんですよね・・・?」 「・・・?そうよ、当たり前じゃない」 何を話したいのか意図を図りかねていると、意を決したように話しはじめた。 「わた、私、に・・・一年生の方を任せてくださいませんか・・・?」 「ふぅん・・・伊月さん。人にお願いするときはね、それに見合う対価か理由を用意するものよ」 「私・・・あの子達にいつもいじめられて・・・それで・・・」 ああ、そういえばこの子は体操部だか新体操部の期待のホープだった気がする。 要するにそういうトコで目立って、気が弱いものだから格好のイジメの対象ってわけね。 「ま、気持ちも分からないでもないけどね」 「葉月様・・・?」 「なんでもないわ。それは愉しそうね、是非お願いするわね」 内心、私は笑いを堪えるので必死であった。 人の欲望を解放するものではあるけど、どういう風に復讐をするのか愉しみね。 三年生に関しては、そうね・・・校舎も違うから騒がれないように先生達に任せるとしましょうか。 ――何か、暗い箱が開いた感じがする。 いつの間に眠っていたのか、保健室の天井をボーっと眺めている自分が居た。 全部、夢とか私の妄想だとかだったらいいんだけどなぁ・・・、なんて希望的観測を思う。 しかし、ここまで来るとある種のゆるぎない確信が自分の中にあった。 保健の先生はいない、体を起こすとゆっくりと教室に向かっていく。 「三時、ね・・・」 時計が指していた時間は授業中であることを示していた。 けれど、どこからも普通の授業をやっている声は聞こえなかった。 代わりに聞こえてくるのはハイグレが云々とか掛け声とか、そういった良く分からないモノだ。 ――物語のページを進めるように、その先を見なくてはいけない。 ここだという理由は一切ないけど、ここしかないという勘を頼りに体育館前まで着く。 そこの前には晴海が待ち合わせていたかのように退屈そうな表情で待っていた。 「あ、やっと来た。一時間近くも待ったんだよー」 私は晴海が今更どんな格好をしていても驚かないつもりでいたが、普通に制服を着ていた。 「まったく、ハイグレの上に着ると蒸れちゃうんだからね」 やっぱり下には着ているらしい、と黙ってそんなことを考えていた。 晴海に連れられて中に入ると壇上にて‘私’が私を待っていた。 「初めまして、になるかしらね?葉月」 「・・・私の格好をしてどういうつもり?」 ソレに応じないで淡々と聞きたいことだけを口にする。 「つれないのね、生徒会長なら余裕の一つも必要だと思うわ」 それにね、とソレは本当に愉快そうに嗤って私の方を見下ろした。 「その質問ははっきり言って愚問よ、葉月。私は貴女よ」 「私はこんなことしない、いい加減正体を見せたらどうなの!?」 その落ち着き様に私の方が間違っているんじゃないかという疑問さえ浮かんでくる。 それを払拭するように大声を出す。それしかできない自分が歯痒い。 「――・・・葉月こそ、正体を見せたらどうなのかしらね」 ドクン、と鼓動が一際大きく鳴った。 何か、聞いてはいけないことなんじゃないかという警告が鳴る。 けれど、耳を塞ぐという行為すら私にはできないくらいに固まっていた。 「・・・貴女は勘違いしているようだけどね、私は間違いなく貴女よ」 「仮にそうだとしても私ってば知らない間に分裂でもしたのかしら?」 何を勘違いと言っているのか不明だけど、苦笑気味に私は言ってやる。 「正確にはね、貴女の可能性よ。葉月がこれから辿るかもしれない・・・ね」 そこまで言うともう一人の私は悲しそうな顔をして私の目の前にきた。 そうしてみると、まるで鏡を前にしているような奇妙な感じがしてくる。 もう一人の私は自身の存在を大して面白くもなさそうに語った。 それは、私の中のある欲望が肥大したモノが目の前の存在だということ。 その欲望こそが存在理由であるためにそれだけが行動理念であったこと。 そして何より、間違いなく葉月の欠片であるという事実。 「・・・ねぇ、葉月・・・」 「・・・?」 私は、不安がっていた目の前の存在が急に誰よりも哀れに見えてきた。 「しばらく、貴女の体は気だるかっただろうけど・・・もう少しで直るわ」 あーあ、葉月が気付く前には県くらいは制圧したかったんだけどねー、なんて物騒な呟きをもらしている。 きっと、それは目の前の存在が存在しえなくなっているということなんだろう。 「葉月、貴女はきっと憶えてないだろうけど。夢の中でね?仮面の人が私を呼び起こしたの。 その仮面の人にとっては些細なコトだったんだろうけど、私にとっては命を与えられたような気分だった」 ただ、その活動制限として自分という枠から外れることができないという枷。 何か良く分からないが恐ろしい自分という存在として認識され始めたから、どうもおかしくなってきているらしい。 「貴女が消えたら、どうなるの・・・?」 「多分、世界は元に戻るわ。イレギュラーな存在が消えたら、それに準じたものも消える。 私はね?最初は貴女の支配下にあったから、今度は私も支配者に・・・なんて考えてたけど、案外時間がなかったみたい」 こうして目の前にいると、もう一人の私との繋がりが感じられる。確かに私の一部なのだと。 きっと、本気で止めようと思えば止められたのではないだろうか、と何となく私は思った。 ここまでに私は一度も歪みを見せる世界に対して恐怖はあっても抵抗はしなかった。 どこか、今までの常識とかそういったものが崩れていく様に恍惚のようなものを憶えていなかったか。 私は―― 「だからね、本当に望まないなら貴女は私を否定すればいいわ。それで全部おしまい。 自分でも間抜けだったって思うわ。まさか自分自身に夢で見られてるとは思わなかったもの。 もう少し続けても良かったけど、自分自身じゃなくなるのなら・・・それは愉しみもなくなるってことだしね」 その手を――― 「自我を安定させようとして、あの人のように女王様っぽく振舞ってみたけど・・・無駄だったかしらね」 「待って!」 「ん・・・、同情ならいらないわよ。自分自身がそういう性格だって誰よりも知ってるじゃない?」 「・・・このまま全部放って逃げるのかしら?誰かが取らないと責任は残るのよ、例え誰も覚えてなかったとしても」 もう一人の私を掴む手は自然と強くなっていった。 そう言うと、真摯な表情でそんなことを言われると思わなかったのか笑い出してしまった。 「く・・・あははははっ。そうね、そうかもしれないわね。 この状況でそんなこと言える性格だったのね、私は。それで?どうすればいいのかしら?」 「それが運命っていうのなら、それを乗り越えてみるのも一興でしょう?」 何やら、自分の言っていることなので良く分かるが自分に言われているので何か悔しいという表情をされた。 「不幸を幸福と感じられたら、それこそ運命を乗り越えたと言えると思うわ」 だから、と私は自分自身に微笑みを向けた。 「その、ね?私自身も楽しめると思うから・・・」 そこまで言うと、もう一人の私も理解が及んだようで、笑みを返してくれる。 「・・・うん、その・・・もう少し付き合ってあげる。だから、今はお休みなさい」 そう言うと、風にさらわれたかのように私は私だけになっていた。 ・・・さて、やることはいっぱいある。 どうも、この学校は全部支配下に置かれているようだ。晴海も付き従ってくれている。 とりあえずは県でも狙ってみましょうか、なんて自分でも笑っちゃうような思いがよぎる。 きっと、ある日に崩壊が訪れるとしても私は前に進んでいく。 ―――続き、見せてくれるんでしょ? そう聞こえたような気がして空を見上げた。 そこには一面の青空、茹だるような暑さ。そして、誰にも知られない約束があった。 |
十六夜
2007年10月12日(金) 18時23分05秒 公開 ■この作品の著作権は十六夜さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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