トモの覚え書き(未完
6月15日
 大きな音で目が覚めた。ベッドから起き上がると、暗いはずの部屋に淡い光が燈っている。光はせわしなく色を変えながら、私を叩き起こした音を吐き出している。どうやらテレビをつけっぱなしにしたまま眠ってしまったようだ。寝ぼけ眼をこすりながら夜光時計を覗いて見ると、もう随分遅い時間だった。こんな時間にまだ映画なんてやっているのかと驚きながら、リモコンで音量を下げる。よく見ると、それは幼い頃観たことのある映画だった。
「あ、クレヨンしんちゃんだぁ……」と私は欠伸をしながら呟く。液晶画面の中を動き回るキャラクター達は、今のクレヨンしんちゃんの絵より、随分古臭く感じられた。劇中の場面が移り変わり、おかしなスーツを着たキャスターが現れた。

『全国の皆さん、東京は今や、異星人の侵略による、一大危機に瀕しております。えー私は異星人の攻撃をかいくぐり、彼奴等の支配下に落ちた新都心、新宿の街に潜入することに成功しました。……貴重な映像を、どうぞご覧ください!』

キャスターのアップから、カメラが街の上空を撮影する視点に切り替わる。するとそこには、腰まで切れ上がったハイレグ水着を着た老若男女、大勢の人々が真剣な顔つきで、おかしなポーズを取りながら口々にこう叫んでいた。

『ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!』

「ああ、そういえばこんな映画あったなぁ……」と呟く頃には、私は自然と映画に見入っていた。その後、キャスターも彼らと同じ姿に変わり果て、映画は進行していった。Tバック男爵なる変態の襲撃をかわし、研究所に逃げ込むが、敵の策略により、基地の機能が無力化される。

『フッフッフッフ、見破られたのなら仕方ないね……。フッ!』

『おお〜〜〜っ!』

『いかにも、私はハラマキレディース様のスパイさ! ハイグレッ、ハイグレッ、ハイグレェッ!』

洗脳されてしまった教師が、あられもない姿になって敵に加担する。その光景を見て、私は当時この映画を怖がりながら見ていたことを思い出した。

「そういえば小さい頃、この映画の真似して遊んだっけ」と、高校生になった今ではこんなものに怯えるわけもなく、むしろ懐かしい思いで視聴を続ける。研究所にいた人々は、ハラマキレディースの襲撃によってハイグレ姿へと転向する。生き残ったしんのすけ達三人は、エレベーターに乗って上階へ上がる。

『行ってきます、ママ』

と、聞きなれない言葉を残して、しんのすけが三輪車に乗って空の彼方へ消えていく。そして見送る二人の背後のエレベーターのドアが破裂して、中からパンストを被った兵士が飛び出す。後方には、ハラマキレディースが控えている。

『ホッホッホ、この基地は私達の制圧下にあるのよ。あの程度のプロテクトを解除するくらい、わけないわ』

『そんな……きゃあああああああああああああああああああっ!』

『ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!』

光線を浴びたみさえとリリ子が、紫とピンクのハイグレ姿に変わる。

「……あれ? こんなシーン、あったっけ?」と首を傾げる。何しろこの映画を最後に見たのは、小学生くらいの頃の話なのだ。あるいは私が忘れているだけかもしれない。その後のシーンは不確かな所もなく、クライマックスなので鮮明に覚えている。幹部達の攻撃をかいくぐり、宇宙船内に侵入。ハイグレ魔王との対面。登りっこ競争に、剣による決闘。昔のアニメとは思えないほどよく動き、年甲斐もなく、私はのめりこんだ。やがてハイグレ魔王が本性を現し、化け物じみた姿になってアクション仮面に襲い掛かる。彼の身を案じたしんのすけの手の中が光り輝く。その光に目敏く気付いたハイグレ魔王は、触手をしんのすけの方に向け、赤色の光線を放った。

『うわああああああああああっ! はいぐれっ、はいぐれっ、はいぐれっ』

『し、しんのすけ、君……』

「あれ? やっぱりおかしい……こんなシーン無かったのに」と私は不審に思ったが、長い間見たことがないのだ、もしかしたら内容をリメイクしているのかもしれない、と安易に考えた。しんのすけはすぐに洗脳され、ハイグレポーズを取るのをやめた。

『今よしんちゃん、ハイグレビームよ!』

『ハイグレビーム!』

『ぐわあああああああああああっ! ……ハイグレッ、ハイグレッ、ハイグレッ』

「……」

アクション仮面がハイグレ姿になり、勝利したハイグレ魔王はバケモノの姿から、元の姿に戻る。しんのすけが尊敬の眼差しでハイグレ魔王を見つめる中、ヘリのような物体に乗った研究所の面々が到着する。皆元の姿には戻っておらず、ハイグレ姿だ。みさえが涙ながらに我が子を抱きしめる。

『頑張ったわねぇ、しんのすけ……』

『それほどでも〜』

『それでは皆さんご一緒に!』

『ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!!』

「…………」

その後、そのままパラレルワールドに住みついた野原一家の元に、小包が届く。しんのすけの功績を称えて、ハイグレ魔王が自分の愛用のマスクと子供用のマントを入れた「ハイグレ魔王変身セット」をプレゼントしたのだ。

『はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ!』としんのすけが誇らしげにハイグレポーズを取りながら、エンディングへ移行する。そのまま映画は終了し、チャンネルは放送終了を知らせるサンドストームに切り替わった。

「……変なの」と呟いたとき、強烈な眠気に襲われた。私はテレビの電源を切り、再びベッドに横になった。



「トモ! いつまで寝てるの、早く起きなさい!」

 聞きなれた声がする。お姉ちゃんの声だ。昨日夜遅くまで映画を観ていたせいで、瞼が重く、開くのが億劫だ。後頭部と枕がくっ付いてしまったみたいで、無駄な抵抗をする気力も無い。喉の奥を鳴らして曖昧に返事をすると、お姉ちゃんの逆鱗に触れたらしく、強引に布団を引き剥がされた。

「わかったよぉ、起きればいいんでしょ、起きれば……ん〜〜〜〜!」

渋々ベッドから起き上がり、時間をかけて伸びをする。瞼をこすりこすりゆっくり目を開けると、ベッドの前にお姉ちゃんが立っていた。両手を腰の横に当てながら、眉間に皺を寄せている。真っ直ぐ伸びた髪と、妹の私でさえ妬ましくなるそのプロポーションに、今日も赤いハイレグ水着が似合っている。

「……はいれぐ?」

もう一度、視線を上下させてみる。お姉ちゃん。真っ直ぐ伸びた髪と妹の私でさえ妬ましくなるそのプロポーションに、今日も赤いハイレグ水着が似合っている。

(お姉ちゃん、あんな水着持ってたっけ?)

ふと浮かんだ言葉を振り払い、両手を組んで考えてみる。驚くチャンスを見失ってしまった私の頭には、ただただ疑問が浮かぶだけだった。どうしてあんなものを着ているのだろう? それもこんなに恥ずかしげもなく、ナチュラルに。頭がおかしくなったのか、それとも私をからかっているのか。どちらも考えにくいため、私はとりあえず夢を見ているんだと仮定した。そういえば寝る前に観た映画もこんな内容だったし、目の前に立っているレースクイーンみたいなお姉ちゃんの姿に妙なリアリティーを感じるところも、いかにも夢の中みたいだ。とすると、不審な点に疑問を持つのも野暮というもの。私は組んでいた両腕を解いて、余計な考えを出来る限り取っ払った。

「……ふむ」

「何に納得してんのよ」と眉間の皺をほどきながらお姉ちゃんが言った。手元で布団をたたみながら、私のクローゼットを足で開ける。「寝ぼけてないでさっさと支度しなさい。朝ごはん片付かないって、お母さんぼやいてるわよ」

きびきびと部屋を出て行くお姉ちゃんの後姿を見守る。持ち上がった端正なお尻が姿を消すと、私の視線は自分の身体に移った。パジャマを着ていた筈なのに、裸だった。いつ脱いだのだろう、それにどうしてお姉ちゃんは私が裸だったことに無頓着だったのだろう? 高校生になっても未だに膨らまない身体を憎憎しげにさすりながら、ぼんやりと思った。次いで、クローゼットに目をやる。先刻お姉ちゃんが開け放したクローゼットだ。ベッドから立ち上がって歩み寄り、中を覗き込む。

「あれ? なんだろ、これ」

中にあったはずの服がそっくりなくなっていた。代わりにお姉ちゃんが着ていたようなハイレグの水着がハンガーにかけられ、何着もびっしりと吊るされていた。地味な色から蛍光色まで、Vラインの角度にも様々なバリエーションがあったが、デザインは一括してシンプルなものだった。こんなのを着なくちゃならないとなると、少し気が重い。

「これにしようかな……」と、その中から何となく一着を抜き取る。角度はそれなりにきつくなく、色も派手じゃない紺色だ。布地のフィットする肩と下半身を気にしながら、部屋を出て階下に降りた。



 お母さんはリビングのソファーに座って、テレビを観ていた。降りてきた私の姿を認めると、立ち上がって私のために食卓の椅子を引いてくれる。いつもの気の利くお母さん。ハイレグの水着を着ている以外は。

「意外と早く起きたのね、トモちゃん」

くすくすと笑いながら、お母さんが言う。私はあらためてお母さんの全身像を眺めてみる。少し崩れ始めたボディラインにピンク色のハイレグがタイト気味にフィットしている。正直言って似合っていないが、似合っていないだけに、お姉ちゃんからは感じられなかったいやらしさが滲み出ているように見えた。少し顔が赤くなるのを感じながら、私は口を開く。

「ちょっとお母さん……少しは年ってものを考えてよね」

「そ、そう? 今日、学生時代の友達が遊びにくるからお洒落してみたんだけど、やっぱり駄目かしら……」

身体をひねって確認するように眺め回しているお母さんの肩に、お姉ちゃんが手を置いた。

「そんなことないわよ、トモのセンスがお子様なだけなんだから」

私がむうっと頬を膨らませていると、お母さんはそれもそうねといった感じで微笑んだ。

「うふふ、確かに。トモちゃんももう高校生なんだから、もうちょっと大人っぽいハイレグを着たほうがいいかもしれないわね」

「あ、そうだ! 今度の日曜、一緒に新しいの買いに行かない? 今度のデートに着てくハイレグが無くて困ってたのよ」

どう答えていいのか少し迷ったが、小馬鹿にされていることは確かなので、無愛想にあしらって食卓につくことにする。お姉ちゃんは仕事に行く準備を始め、お母さんはソファーに座ってまたテレビを見始めた。液晶の向こう側では、やはりハイレグ水着を着たキャスターがニュースを伝えていた。ちゃんと観てはいないが、どうやらどこかの国とどこかの国が戦争みたいなことをしているといった内容だ。お母さんはそのニュースに聞き入っている。

(いつもはあんなニュースなんて見向きもしないのに、どうしたんだろう……)

「んじゃ、そろそろ行ってくるね」と、お姉ちゃんがショルダーバッグを背負いながら言う。壁の掛け時計を見ると、あと10分で私も家を出なければならない。急いでトーストを片付け始めた私の頭を数回ぐしゃぐしゃと撫でながら、お姉ちゃんがリビングを出て行く。

「いってらっしゃい。お仕事、頑張ってね」

「いっへらっひゃーい……むぐっ」

トーストを詰まらせてしまった。胸をドンドンと叩きながらミルクの入ったコップを取ると、視線の先に布の包みがあった。お姉ちゃんのお弁当だ。

(そそっかしいなぁ、もう)

お弁当の包みを引っ掴んで、お姉ちゃんの後を追いかける。

玄関のドアを開けると、お姉ちゃんがオマルに乗っていた。……オマル? 今一度両目をごしごしとこすってみる。確かにオマルだ。白いアヒルのオマルに、お姉ちゃんが跨っている。その爪先は、少し宙に浮いていた。

「な、何それ?」

「あれ? あんたにお披露目するの初めてだっけ? ふふん、いいでしょ、思い切って買い換えたの。最新型よ?」と、お姉ちゃんが自慢げに言う。いや、だから買い換えたソレは何なの? と出掛かった言葉をお口チャックで跳ね返す。だから、これは夢なのだ。せっかくの夢なんだから、これくらいシュールな方がかえって面白い。いくら夢とはいえ、嫁入り前の姉の奇怪な姿を衆目に晒すのは忍びないけれど、ここは空気を読んで食い下がる。

「ふ、ふーん、そうなんだ……。うん、かっこいいと思うよ。あ、これお弁当。忘れてたよ」

「おっ、あんがとね」と私から包みを受け取って、鞄に入れる。「んじゃ、行ってくるね」

オマルが30センチほどさらに浮き上がる。ドラえもんが歩いているような奇妙な稼動音をたてながらオマルが旋回し、門から飛び出して出発した。

「……早くゴハン食べよっと」



 続きを急いで食べ終え、身支度を整える。洗面所に行って歯を磨き、適当に髪を整える。少し寝癖の直っていない箇所もあるがそれほど髪も長くないので、妥協して洗面所を後にする。

「うふふ、トモちゃんったら、お姉ちゃんに似て忙しないんだから……」とソファに座りながらおっとりと構えているお母さんに目もくれず、二階へ上がって自分の部屋に入る。靴下を穿いて鞄を持ち上げると、姿見に映った自分の全体像が見えた。紺色のハイレグに黒いハイソックスを穿いて、学校指定の鞄を両手で持っている私。制服を着ていないせいで、中学生か、下手をすれば小学生に見えなくもない。何よりこんないかがわしい格好をしている自分に、今更ながら恥ずかしくなってきた。……制服?

(制服も着ないで、こんなカッコのまま学校に行っても大丈夫なのかなぁ……というか、外に出るだけでも嫌なんだけど……)

 階下へ降りようとすると、階段の傍の閉じられたドアに目が留まった。お兄ちゃんの部屋だ。ふと疑問が浮かんだ私は、階下に向かって質問を投げかけてみる。

「お母さぁん! 今日って何曜日だったっけ?」

「金曜日よ〜」

リビングの方から答が返ってくる。金曜日といえば、お兄ちゃんが一時限目から授業に出なければならない曜日だ。時刻は8時15分、お兄ちゃんが授業開始までに大学に着くには、今すぐベッドから飛び起き、服を着替え、最低限の身だしなみを整え、ごはんも諦めて家を出て、お兄ちゃん自慢のオンボロベスパに鞭を打って全速力で向かわなければならない。

(やれやれ、仕方ないなぁ……)

肩で溜息をつきながら、ドアをノックする。

「お兄ちゃん、入るよ?」

返事が無いけれど、少しだけ待ってみる。というのは、何年か前にノックしないでドアを開けたときに、とんでもない場面と出くわしてしまい、お兄ちゃんと本気で喧嘩をしたことがあったからだ。

(……ホントに寝てるみたい)

ちょこっと聞き耳を立ててから、ノブを回して部屋に入る。

「ちょっとお兄ちゃん、いつまで寝て――」

お姉ちゃんを真似て手を腰に当てながら部屋に入ると、私の言葉はすぼんで消えた。そこにはお兄ちゃんの寝姿はなく、ましてやとんでもないことをしている姿も見当たらなかった。珍しく整頓されている部屋の端に置かれたベッドからはシーツが取り払われ、底板が剥き出しになっている。まるで旅行にでも行ってしまったみたいで、お兄ちゃんの姿がどこにも見当たらない。一応押し入れまで探してみたが、お兄ちゃんはおろかドラえもんすら見つからなかった。昨日はちゃんと居たのになあ、と訝りながらも、捜索を断念して階下へ降りた。お母さんは相変わらずソファーに座っている。

「お母さん、お兄ちゃんは?」

「お兄ちゃん?」

「金曜は早出でしょ? 起こそうと思ったんだけど、部屋にいなかったの」

私の言葉を聞いたお母さんは、人差し指を唇に押し当てながら、何か考えるような表情で私を眺めて、やがてニッコリと笑った。

「ユウ君がこんなところにいるわけないじゃない。もう、トモちゃんったら、またユウ君の夢を見てたのね? ほんとにいつまで経ってもお兄ちゃん離れできないんだから、お母さん心配しちゃう――」

「なんでもないっ、行ってきます!」



 肩を怒らせてリビングを出る。お母さんからああいう小言が出始めたときは、もはや何を言っても無駄なので、もう全く相手にしないのが得策なのだ。その勢いのまま、私は自分の格好など歯牙にもかけずに家を出た。しかし興奮したままずんずん歩いているうちは良かったのだけれど、一旦冷静になると、少し心細くなってきた。辺りは人もまばらで、すれ違うのもほんの数人だったが、やはりその女の人達も私やお姉ちゃん達と同じようなハイレグの水着を着ている。そういう人を見かけるたび、私は反射的に少し顔を逸らせたり腕を身体に巻きつけたりしたけど、誰もその素振りを気にする様子もなく、私をただの住宅街の背景の一部として認めているみたいだった。

(そういえば、なんでお兄ちゃんいなかったんだろ……お母さんはいないのが当然みたいに言ってたけど)

それについて色々考えてみようとしたが、面倒になってきたので頭の隅に追いやった。いい加減、考えたり疑ったりするのはやめにしよう、どうせ夢なんだから。
 ほどなく家近くの細い通りを抜けて、大きな通りにさしかかり、まばらだった人通りも多くなってきた。私と同じように鞄とローファーとハイレグ水着の女の子の姿もちらほら現れ始めた。そのほとんどが赤や黄や緑の華やかな色をしているので、お姉ちゃんの言うことを聞いておけばよかったなと少し後悔した。中にはかなり大胆な角度の水着を着ているコもいたので、私の来ている水着がスクール水着のように感じられて、かえって恥ずかしさが薄れてきた。

 この近くには国道に繋がる道路があり、学校に行くためにはここを横切らなければならない。道路を走っているのは、お姉ちゃんの乗っていた浮遊滑走する大小様々なオマルばかりで、まともなバイクや車は見当たらなかった。

(気にしない、気にしない……)

歩道橋を渡り終え、通学路に指定されている細い道に入ろうとしたとき、私の背後で例のオマルの稼動音が大きくなっていくのが聞こえた。

「危ない!」

その声に反応して振り向くと、道路脇を走っていたオマルが歩道に乗り上がって私のすぐ後ろにまで差し迫っているのが見えた。

「きゃ……!」

びっくりした拍子に尻もちをついて倒れこんだ私の鼻先で、オマルは急停止した。お姉ちゃんのよりも少し小さいタイプだ。乗っていた女の人がばつの悪そうな表情をしながら傍に駆け寄ってきた。

「ごめんなさい、大丈夫?」

「あ、はい、大丈夫……みたいです」

女の人が差し出した腕を借りて立ち上がると、私はお尻を手で払って、食い込みを直した。

「本当にごめんなさいね……結構古いタイプだから調子が悪くて」と言いながら、自分の乗っていたオマルをぽんぽんと叩く。「早いとこ整備に出さなきゃね。ちょっと失礼、エネルギーを補給したいから、手伝ってくれない?」

そう言うと、女の人はオマルを壁に立てかけて、それに向かってガニ股の体勢を取った。

「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」

そう叫びながら、女の人が昨日の映画と同じ動作を何度も行った。例のおかしなコマネチポーズだ。何を手伝えばいいのかよくわからないので、とりあえず彼女の横に立って、同じことをしてみた。

「は、ハイグレ、ハイグレ、ハイグレ……」

「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」

二人して何度かそのポーズを取っていると、壁に立てかけられているオマルの白いボディが、内側から赤色灯みたいにぼわーっと光りだした。見たところ、エネルギーとやらが補給されているようにも見えるが、いったいどんな原理によってこの動作からエネルギーを受け取っているのかは想像することもできない。うん、気にしない、気にしない。

「ハイグレ、ハイグレ、ハイグレ」

「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ……ふう、そろそろいいかしら」

女の人はポーズを取るのを止めて、オマルに跨った。オマルは問題なく浮き上がり、不具合がないかを調べるように前後に身体を揺らせた。

「うん、大丈夫みたい。ホントにありがとうね、これで遅刻しないで済みそうだわ。じゃあね!」

こちらの返事も待たずに、オマルは素早く道路に入り、そのまま向こうへ去ってしまった。私はその一挙手一投足をぽかんとしたまま眺めていた……遅刻?

(いっけない、今何時だろ?)

携帯を取り出すと、すでに30分を超過していた。チャイムが鳴るまで、もう2分も残っていない。

(あーもう……あんなこと手伝うんじゃかなった……)

後悔したところで川の水は逆流しないし、海の水は甘くならない。とにかく私は走り出した。この細い路地を抜ければ、学校の前の通りに出る。


↓【2010年4月6日追加分】↓


 なだらかな勾配の終わった先に校舎と校門の横顔が見える。特に変わったところはなく、ちょっと安心。校門の前には生徒の姿はなく、いつも竹刀を地面に突き立てて遅刻生徒を待ちわびている髭の濃い太った生徒指導の姿も見えない。まるきりの無人だ。
 チャイムの音が校庭に響き渡る。校舎に掛けられた時計の針が8時35分を指している。
(わわっ、急がなきゃ……!)



 そろり、と教室の後ろ側のドアを引くと、私の席以外がきちんと埋まっていて、みんな前かがみになって机の上に置かれたプリントに取り掛かっている。もちろん、みんな水着姿だ。どこを見ても色とりどりの、ハイレグ、ハイレグ、ハイレグ……。

(うう、なんかメマイしてきた……)

 自分の席にこそこそ向かうと、クラスメイトが何人か気付いて、「また遅刻?」と言いたげな表情で笑いかけてくる。みんなすぐに手元に視線を戻すが、そのうちの1人がまだ私を見ている。イヅミちゃんだ。イヅミちゃんがにっこり笑って、教壇の方を指さす。その方向を見ると、見慣れない女の人が立っていた。胸がおっきくて(というか、ハイレグ水着を着てるからおっきく見えるのかな?)、年齢はお姉ちゃんとお母さんのちょうど中間くらいだろうか。眼鏡越しの鋭い目が私を睨んでいる。怖い、お姉ちゃんの5倍くらい怖い。黒色のハイレグも相まって怖い。でも、誰だろう? 新任の先生かな? その人が無言で黒板に書かれた文字を親指で指す。
「1時限目 国語」
 どうやらテスト中のようだ。なるべく教壇に立ってる怖い女の人と目線を合わさないようにしながら自分の席に着く。そういえば今日、中間テストだったっけ。鞄を机のフックにかけて、ペンケースを出して、置かれたプリントを表に返す。

(国語は苦手なんだけどなぁ……)

学年・クラス・氏名を書いて問題文を頭の中で読み上げる。苦手なりにもちょっとは点数を稼がなくては。
(『問1 次の長文を日本語に訳しなさい』……あれ? 英語の問題? 今って国語のテストの筈だけど……しかもこの長文、英語じゃないし。何だろ、この文字……ハングル? アラビア語? ……くさび形文字?)

まるで問題文の枠の中でミミズがランバダを踊っているかのよう。明らかにミスプリなのだけれど、おっかなくて言い出す気になれない。今もまだ教壇の方から殺気を感じる。

「えっと、あの……先生?」

おそるおそる手を挙げると、ヒールのカツカツという音と共に、教壇の方から殺気が近づいてくる。私の席の隣にやってくると、先生?は腰をかがめて私に顔を近づけてくる。

「なんだ? 遅刻の理由なら後で聞く。……さっさと問題を解け」

先生?が耳元で囁く。鉄製メスの横腹をほっぺたに沿わせてくるような声に、思わず私の身体がぞわわする。

「あ、や、その、私の問題用紙が、ちょっと、印刷ミスみたいなので、変えていただければなぁ、と……」

先生?が私の問題用紙をひったくって目を通し始める。私の目線の高さに先生?の漆黒のVゾーンが迫ってきているので、目を逸らすしか選択肢が無い。不意に、私の机の上にバンッと問題用紙が叩きつけられる。

「どの辺りがおかしい? 述べてみろ」

「え? え、あーの、ここのこの辺りが……というか、ほとんど全部?」

問題用紙の全体を指でくるくる囲みながら言うと、先生?がぐいっと顔を近づけてくる。吐息が私の顔にかかる。なぜか顔が赤くなる。

「ほう……? テスト当日に遅刻したばかりか、私に挨拶もナシに教室に入り、あまつさえ問題にケチまで付けるか。いい度胸だ、何点取れるか期待しているぞ、巴」

先生?が含み笑いを見せて教壇に戻って行く。……期待された? いや、期待されても文字すら読めないのだけれど。とりあえず、この夢の中の人間はこの文字くらい読めて当たり前ということなのだろう。しかし、見たことない人や見たことない文字がみだりに現れる夢なんて有り得るのだろうか。自分の想像力を上回る夢なんて見ることができるのだろうか。そろそろこれを夢と決めつけて知らぬ存ぜぬを通すのも難しくなってきた。
 チャイムが鳴る。結局、私は何も書けないままだったので、カンニングだと勘違いされない程度に周囲を確認するくらいしかすることがなかった。現実と今見てる夢とに変化があるとするならば、この場から確認できるのはおよそ3点。まず、みんなの格好がおかしい。これは周知の事実。あと、クラスの人数が少ない。現実では私のクラスには42人の生徒がいるのだけれど、この教室にはどう多く見積もっても20人ちょっとくらいしか居ない。よく見れば先生?の他にも見覚えのない子がその中に何人もいる。最後に、男の子が居ない。というか、今朝起きて今に至るまで、男の人を1人も見かけていないような気がする。どうしてだろう? 変な夢。
 後ろから回ってきた解答用紙の上に、私の白紙の用紙を裏向けに重ねて前の席に送る。一番前にまで行き渡り、先生?が全列のプリントを回収して、1つに纏める。

「きりーつ! れーい!」

学級委員のイヅミちゃんが間延びした声で号令をかける。みんなが立ち上がり、一斉に腰を落としてガニ股になる。……ガニ股?

「「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」」

……ここでもこの変なのをしなきゃならないのか。私も少し遅れてみんなの真似をする。

「ちゃくせーき!」

みんなが席に座る。先生?はその光景に満足したように頷いて、次の科目も頑張るようにとみんなに言った後、教室をあとにした。気のせいか、後ろ手で引き戸を閉める瞬間、私に一瞥を投げかけたように見えた。
0106
2010年04月06日(火) 06時35分12秒 公開
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです、0106です。

某絵師さんにリクが通った嬉しさのあまり、それを基にSSを書く! と息巻いていたのですが、冷静になって考えてみると、私の実力では難しいようです。女体化絵師さんに勝手に名前を付けるなんて暴挙、私にはとても……orz

代わりに書いてくれる人が現れるのを期待しつつ、精進します。ではノシ